名作嫌いの治し方 教へます

先日ご紹介した「風の谷のあの人と結婚する方法」を衝動買いしたとき、実はあと2冊、衝動任せに併せて買っていました。そのうちの1冊がこの本。

本の読み方 スロー・リーディングの実践 (PHP新書)

本の読み方 スロー・リーディングの実践 (PHP新書)

小説を書く・文章を書くことを生業とする人物がどんな本の読み方をしているか、興味深いですよね。著者はご存知の通り芥川賞作家の平野啓一郎。「日蝕」や「葬送」といった、どちらかというと難解といわれる部類に入る小説を書いている人です。そんな彼が、自身の読み方について、実際のテクスト(夏目漱石三島由紀夫森鴎外など)を使って解説しています。
僕は自分でも読書好きだと思っていますし、人にもそう言っています。中でも小説はよく読みます。ただ、そこに僕はひとつのジレンマを抱えています。「名作が嫌い」であり、誰もが知っている名作のほとんどを読んだことがない(手にとっても読まない、あるいは、買ってきても読まない)のです。時の流れという最高のフィルターを通して生き残ってきた文学的名作たち。それを読まないなんて人類の叡智に対して失礼、という思いは当然あるのですが、どうしても「つまらない」という思いが先に立ってしまって読み進めない。すぐに放り出してしまう。
「ストーリーを楽しみたい」という感覚を強く持っているせいでしょうか、世の名作と言われる本を少し読んでみては、「はぁ?これが名作ぅ?どこが?何が面白いの?」という感想を何度も口にした気がします。志賀直哉の「暗夜行路」なんてまさに地獄のような本でした・・・。海外にホームステイに行ったときに持っていき、それしか読むものがないので何とか読破しましたが、その間に何度壮絶なまでの呪いの言葉を吐いたことか・・・。
そんなジレンマに対して、この本はとても貴重な示唆を僕に与えてくれます。僕にとって新鮮だったのは、「書き手の視点に立って考えながら読む」ということ。この読み方、小説以外では当たり前のように為されているのですが、小説についてはどうでしょう?作者がなぜこの場面でこの人物を登場させ、なぜこの言葉を言わせたのか?そのときの表情についてこういう文章を使ったのはなぜなのか?彼は一体何を表現したかったのか?考えながら読み進む。一つ一つの作者の意図について謎解きをしていき、彼の「本当に言いたいこと」を探り当てていく。
例えそれが間違った解釈(誤読)であっても構わない。そうした人々の誤読を許容し、より深みを増していくもまた名作である、と。誤読を許さない、という考えで書かれた本ならば、作者は誤読を許さないような書き方をしているはず。そこに解釈の余地を残しているのは、作者が読者に対して、独自の想像や考えの展開を期待しているからに他ならない、というわけです。
少しだけ名作アレルギーが緩和された気がしている今日この頃。リハビリの一環として、来週からの夏休みには、平野氏の本を読んでみようか、などと考えています。