高利貸は悪者?

 今日の朝日新聞Web版「asahi.com」に出ていた記事、「「灰色金利」撤廃を示唆 与謝野金融相」
 この中に出てくる大臣の発言「(貸金業者がとる)二十数%の金利が当たり前だと受け取られる社会を作ってはならない」には、正直驚いてしまいました。大衆の間での「人気」が生命線となる政治家としての発言としては妥当と言えなくもありません.また、出資法と利息制限法という二つの法律が並立する状態を糾弾するというなら十分理解できる。でも、「高い利息を取る業者が存在する社会はおかしい」という考えには驚愕と落胆を禁じえません。日本の金融を預かる国務大臣がこんなにも安易な発言をするとは・・・。
 資本主義の依って立つメカニズムの中で最も大切なのは、言うまでもなく「価格機構」です。そして、金利とは、まぎれもなく「お金を一定期間自由に使う(=借りる)ために支払う価格」のこと。ビデオレンタルのレンタル料や、レンタカーの代金と同じです。
 貸し手の視点から見た場合、「返してくれない確率」が高い借り手ほどその「レンタル料」は高くなる。煙草を吸わない人(死ぬ確率が低い人)より吸う人(死ぬ確率が高い人)の方が生命保険料が高くなったりするのと同じ原理です。リスクに見合ったリターンを要求する、極めて自然な経済活動と言えますよね。

 ここで、「お金のレンタル料」である金利に法律で上限を設けるとどうなるか。毎月一回は必ず交通事故を起こしている乱暴ドライバーに、「レンタカー代金は、どんなドライバーに対しても一日3千円以上取ってはいけない」という規則を作るのと同じことです。貸し手にしてみればたまったものではありません。何せ、毎月30分の1の確率でクルマを壊してしまうお客にも、3千円しか請求できないのですから。
 そんな状況で、貸し手は何を考えるでしょうか?答えは一つ。「そんなドライバーには、クルマを貸さない」ことです。3年か5年に1度しか事故を起こさないドライバーは他にもいるのですから、何も無理をしてそんな「アブナイ」人に大切な資産であるクルマを貸す必要はない、というわけです。
 この現象は、お金の貸し借りで成り立つ金融の世界でも起こります。「20数%の金利は異常だ」というヒステリックな反応だけで上限金利を設ければ、何が起こるか。上記のような「アブナイ」ドライバー(=信用力の低い借り手)は全て、合法的なレンタル業者からは金を借りることができなくなってしまいます。「アブナイドライバーにはクルマを貸さない」、これが真実なのですから。
 そこに忍び寄るのが、法律なんて無視して当然、と考える「ヤミ金融」の皆さん。上限金利なんてクソ食らえ、とばかり、彼らはリスクに見合った「適正金利」に、法律違反をするリスクプレミアムを乗せた「法外な金利」で貸付を行ないます。10日に1割の利息がつく「トイチ」なんて貸金業者が、まさにこれ。
 
 こうした姿、果たして健全な社会と言えるのでしょうか?僕には、「リスクに見合ったリターン」という世界のほうが、ずっと自然に思えてなりません。