名前とアイデンティティ
体調が悪く家で寝ていないといけない日々が何日が続いたとき、ヨメからの提案で落語を聴き始めました。DVDを見るっていうのも候補にはあったのですが、「目が疲れると体全体が疲れる」ということで。不思議と「耳」は疲れないものですからね。
そんなふとしたきっかけから聴き始めた落語ですが、実はけっこうハマりそうな予感がしています。もともと歴史やら昔の社会風俗やらに興味のある身、噺の中で語られる世界を想像しながら聴き入っていると、落語が描き出す世界の面白さについ引き込まれていってしまいます。まだ偉そうなことを言えるほど聴いたわけでも勉強したわけでもないですし、ライブで聴いたわけでもないですが。
今は便利になったもので、iTunesのオーディオブックで昭和の名人と言われた噺家さんたちの落語を聴くことができます。ライブで見なきゃあダメだという人もいるけれど、こちらは寝てるんだから仕方ない。まずは耳からスタートです。
- 作者: 堀井憲一郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/06/17
- メディア: 新書
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興味深かったのは「名前は個人のものではない」という話。江戸期には武士も商人も人生のうちで名前が変わる。生まれたときの名前、家を継いだときの名前、隠居してからの名前。そして、その名前は個人を表すのではなく社会的な役割を表す。柳屋加兵衛といった名前は「その人」を表すのではなく、たとえば薬問屋の柳屋加兵衛。薬問屋という社会での役割を表しているのだそうです。だから、薬問屋を継がないのであればそこの倅であってもその名前を名乗ることはできない。
逆にいうと、出自がなんであれ、もともとどんな名前であれ、ある社会的役割を引き受けたときにはその役割に応じた名前になるということ。ある日突然に。
現代では生まれたときから自分と名前は同一。だから「自分は何か?」「自分らしさとは?」といったアイデンティティについての悩みや迷いが生じるのでは、と著者は言います。
役割が変われば名前も変わる。自分が社会で果たす役割に応じて、自在に自身の名前、言い換えればキャラクターのようなもの、も自在に変えることができるのだ、と考えると、難しいことは考えなくてもいいのかもしれませんね。