タイ 巨大工業団地の通勤風景

タイでの通勤の車の中で書いています。朝4時半に起きてからはや2時間半、少し眠気に襲われてきたので、ちょっとした眠気覚ましにタイの巨大工業団地の通勤風景について書いてみようかと思います。
タイには、政府機関に認定を受けた巨大な工業団地がいくつもあり、それらに入居する企業には優遇策がとられています。大雨・洪水・地盤沈下といった災難に見舞われることも多い土地柄、企業の側もそうした「お墨付き」のある団地に入居してサポートの受けられる環境で操業したいという気持ちもあり、外国企業製造業はかなりの確率で巨大工業団地に居を構えます。
日本で見かける工業団地との大きな違いはその規模が本当に巨大であることで、一つの市や町がまるごと、という印象。車で端から端まで移動するのに30分かかるといった広さです。また団地内は信号がないことが多く渋滞もするので、「いま御社の工業団地の入り口に着きました」という電話を受けてから、到着まで30分、なんてケースはよくあります。

辺鄙な立地、巨大な工場群、ということで、「従業員は集まるの?どうやって通勤するの?」との質問をいただくことがありますが、そこは需要と供給。団地周辺には新旧いくつかの住宅街が出来上がっており、他の地方からの出稼ぎを中心に多数の労働力が集積されています。
彼らの通勤手段は主に2つで、一つは自前のモーターサイ(原付)。会社が距離換算でガソリン代を支給する形。もう一つは会社の手配するバス。版権無視でアニメキャラクターなどを大きくプリントしたド派手な観光バスが数十台連なって走っている光景は異様ですが、これは観光ではなく従業員の輸送のために企業が手配している通勤手段なのです。
数千人の従業員を抱える企業ともなると、バスの台数だけで数十台から100台規模。それらの運行管理に専門部署を設けるほどで、コストもなかなかのものです。運用コストを削減しようと、従業員に自前のモーターサイや車での通勤を奨励したところ、駐車場が足りなくなって土地を購入する羽目になり、より高コストになったといった笑えない話もありました。(ボーナス後に一挙に車通勤が増えたのが原因とのこと。)

もう一つユニークなのは、通勤の途中で様々な食べ物の屋台が並び、そこで朝食や昼食、おやつなどを買い求める人が多いこと。上記のようなバス通勤の場合、ルートの都合でかなり早く会社に着くこともあるため、ビニール袋に詰められたタイ料理を出勤前に買い込んで、オフィスなどで食べるのです。屋台から立ち上る湯気や肉を焼く煙り、そこに群がって食事を買い求める人々。これもタイ工業団地の通勤風景の一つです。

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パイナップル畑を抜ける通勤ルート。
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モーターサイでの通勤。
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タイの工場群の建屋。


新しい生活習慣 35歳からのカラダケアはじめます

実は先月、ひどく体調を崩しました。もちろんそれは僕の人生の中で、という話で、もっと深刻な身体の不調に悩まされている方もたくさんいらっしゃるとは思うのですが、僕としては仕事も何もできなくなるような体調不良というのはなかなかないので、これにはけっこうこたえました。身体が言うことをきかない、というのはこんなにも苦しいものなのか、と。

何かの病原菌だとかウィルスだとかいったものが原因になっていたわけではないので、原因は一言でいえば「いろんなものの蓄積」ということだと自分では考えています。疲労、ストレス、不摂生、気候の変動、長距離の移動・・・。いろいろなものが積み重なって身体の状態がレッドゾーンに突入して、「はい、ここで閉店です!」といった具合にシャットダウンされてしまったような感じでした。

そんな状態にどう対応したのか? タイでの生活を継続するのは難しそうな状況だったので、もとから予定していた日本への出張予定を少し早めて家族にサポートしてもらいながらケアに努めました。結果、現在は元気にタイで仕事に生活にと過ごしています。

とはいえ、それはあくまでも一時的な休養による体調の回復とでもいうものでした。長期的に身体の状態を維持・改善していくには、やはり変えるべきものを変えなくてはいけない。そんな思いを強く持ったわけです。新しい生活習慣を確立しておかないと、近い将来本当にひどいことになるんじゃないか、という危機感に強く襲われました。

そこで、信頼できる方からのアドバイスや書籍なども含めて、いくつかのソースから抽出した新しい生活習慣のリストを、以下のように作ってみました。日本からタイに戻ってきた先週月曜日から実行していますが、現在のところとても好調です。

  1. 早起きして身体の調子を整える。
    僕はかなりの低血圧で心拍数が少ないという特性を持っています。朝には弱い。仕事に出かける30分前に起きるといった生活をすると、スタート時点ですっころんだようなひどい状態で1日がスタートします。
    そこで、朝は家を出る2時間前に起きて調子を整えることにしました。タイでいうと4時半です。
    起きたらシャワーを浴びて(本当は入浴がいいのですが、家に湯船がないので仕方ありません。)体温を上げるとともに、熱いシャワーの刺激で身体に刺激を与えて目を覚ます。そして2で書く食事をきちんととって、ニュースのチェック、音楽を聴くといった活動で精神をReadyの状態に持っていく。
  2. 朝食は必ず食べる。炭水化物を摂り過ぎない。
    これまで朝食は抜いていたのですが、並べるだけでできる簡単なメニューでもバランスのいい朝食を必ず食べるようにしました。具体的には、ヨーグルト、野菜ジュース、アーモンド、クラッカーと温かいカフェラテ を基本メニューに設定しています。
  3. お酒は飲むけれど、飲み方に注意を払う。
    夜の1杯のお酒、あるいは仲間とのお酒は楽しいものですし、無理にストップするのは難しい。ただ、お酒を飲む前にアルコールの吸収を抑制できるようお腹に十分な食べ物を入れておく、水と一緒に飲むようにする、という作法を実施するようにしました。これだけでも、翌日への影響がかなり抑制されますし、身体へのダメージも少なくなります。
  4. 睡眠の質を上げるための行動を寝る前に。
    身体に疲労やストレスを溜めないという意味で、睡眠の質はとても重要。そこで、寝る前に熱いシャワーやお風呂には入らない(身体が目覚めてしまう)、眠る前にスマホやPCには触れない、画面を見ない(画面からのライトが眩しくて神経が昂る)、寝る前に1日のストレスにお別れをしておく=その日にあった出来事をビジュアルにして振り返り、ストレスを整理しておく。
  5. 適度な運動を生活の中に取り入れる
    これはまだ定着させられていませんが、休日には少し長めの距離を早足で散歩するといった行動を昨日から始めました。血行がよくなるのがわかりますし、筋肉が失われるのを止めることもできそうです。

 まだスタートしたばかりの活動ですが、これは何としても定着させたいと思います。

 

 

持ち歩くデバイスを減らしたい

生来のガジェット好きで、PC・スマートフォンタブレットなどのデバイスを数多くトライしては元に戻して、といったことを繰り返してかれこれ10年近く。常に新しいものが市場に供給されてくる状況の中、いつまで経っても「これ!」といった姿にたどり着けず迷走を続けています。

そんな過程を経ることで購入したガジェットは数知れず、タブレットではiPadは全世代、iPad miniは初代、さらにNexus7にも寄り道して、現在はiPad Air。PCはWindowsからMacに移って、その後にWindowsへ。現在はLenovoThinkpad X1というのを使っていますが、Thinkpad Yogaというタブレットにもなるタイプに浮気して1日でやめたこともあります。
スマートフォンの方は比較的安定してiPhoneを使っていますが、海外居住を始めた時期にAndroidに浮気して2台ほど続けたことがあります。現在はiPhoneにカムバック。

そうした遍歴を経た現在の鞄の中には、iPad Air、それ用のキーボード付カバー、ノートPCのThinkpadKindle(米国から輸入して買ったものから数えて4台目)、iPhone(日本用)、そしてポケットにタイ用のiPhoneという状態になっています。それらを支えるモバイルバッテリーも常時、予備も含めて2個を持ち歩いているのですから、鞄がとてつもなく重たくなるのは当たり前です。

こんな状況を打破したいな、とは常々思っており、理想的には「iPhoneともう1台」の姿に持って行きたいね、などと嗜好の合う合弁パートナーの社長などとも話をしていました。そんな彼が目下検討中というのが、「iPhoneSurface Pro 3」という組み合わせだとか。タブレットとPCを完全?に1台にしてしまったという評価のあるSurfaceを活用することで、PCとタブレットの双方を持ち歩く持ち歩く生活から脱却できる!と。(彼としては、SurfaceLTE通信機能がついたら即決する予定とのこと)

そんなコメントに感化された僕は、Thinkpad Yogaで挫折したのも忘れて、一時「タブレットPC」の夢に浸りました。鞄にはSurfaceだけ入れて、ポケットにiPhone。出張にもSurface一台だけ持って行けば、何も要らない。Excelもばっちり操作できるぜ。うん美しい。すっかり「次に日本に行ったら買おう!」というモードになりかけました。

で、実際のところどうなの?ということで少し調べてみると・・・


うわ、Thinkpad Yogaの時に感じたこととよく似た現象じゃないか・・・。タブレットとしては大きくて重すぎて、PCとしては小さくて操作しにくい。要するに中途半端。。。移動の多い僕みたいな人間にとっては、膝の上でキーボード操作できないというのも致命的。。。

というわけで、いったん落ち着いた現在のヘビー級ビジネスバッグから離れることは当分できそうにありません。どなたかこのテーマでディスカッションしてくれる方がいれば、大歓迎です!


「好き嫌い」と経営

とてもタイムリーに良い書籍に出会いました。楠木健氏の「好き嫌いと経営」。14人の経営者(いずれもトップクラスに有名な方々)に、その好き嫌いについてだけを聞いていくというインタビュー・対談形式の書籍。テーマは対談の中でビジネスから食べ物、趣味など幅広く展開されていき、どなたも個性的な面々なので、彼らが本音のところで何を「好き」と感じ何を「嫌い」と感じるのかというのは読み物としてとても面白い。また、彼らの経営スタイルや意思決定の背後に間違いなくその「好き嫌い」が息づいていることを感じさせてくれる点も「なるほど」と感じさせてくれる本でした。

 

「好き嫌い」と経営

「好き嫌い」と経営

 

 

 
 
著者が「好き嫌い」と対比させる形で使っているのが「良い悪い」という言葉。感情を抜きにして、「これは良いことだ」という場合、そこにある判断の根拠は論理。論理には多少のバリエーションこそあれ、特にビジネス上のテーマになると誰が考えても似たような結論になる。同一の市場に身を置き、似通った情報を入手して戦略を考えているような場合、良い悪いだけではプレイヤーはみな似たような結論に到達してしまい他社との差別化ができなくなる、というわけです。
 
それでも、世の中には際立った差別性をもった企業が存在しているわけで、論理に立脚した意思決定というだけでは説明ができない。そこに立ち至る過程の意思決定には、良い悪いではない経営者の「好き嫌い」があるはずだ、というのが著者がインタビュー活動を始めた理由です。
 
経営者が好き嫌いで意思決定しているなどと聞くと何だか眉を潜めたくなりますが、実際のところ経営者も人間。好きな方向に事業が向かっている時の方がやる気も出るし活動的にもなれる。AとBという意思決定のオプションがあった時に、論理をある程度積み上げた上で最終的には好き嫌いを軸に判断をするというのが、その後の実行力という点でも有効なのではないか、というのが僕の実感でもあったので、大いに納得した次第です。
 
一度、虚心坦懐に自分の好き嫌いについて棚卸しをするのが、いいかもしれませんね。
 
 

パタヤに住むってどんな感じ?

昨年の3月から、一ヶ月のうち3週間程度はタイ チョンブリ県に位置するパタヤという街に住んでいます。チョンブリ県というのは、バンコク、ナコンラチャシマに次ぐ3番目の人口を持つ県で、チョンブリ・シーラチャー・パタヤが主要な街となっています。
なぜパタヤになったのか、理由は簡単で、会社から通勤時間1時間以内で、外国人向けのアパートが妥当な家賃で確保できる場所がここしかなかった。日本人はバンコクおよびシーラチャーに集中的に住んでいるのですが、バンコクは通勤2時間超、シーラチャーは日本人が集中し過ぎて家賃が高騰。住みたくても住めませんでした。

日本ではあまり耳にすることのないパタヤ。名前を聞いたことのある人の間では「ビーチリゾート」というイメージが定着しているようです。一方、タイに住む日本人の方(特に男性)とお話している時にパタヤに住んでいるという話をすると、「いいですね、遊び放題ですね!」とか、「え、あんなところに住んでて仕事できるんですか?」と驚かれるケースが多い。
もともとがベトナム戦争時の米軍の保養地として発達した街ということで、昼はビーチリゾート、夜は歓楽街という二つの顔を持っているのです。それがタイ在住日本人の間にも一般的に知られており、上記のような驚きにつながっています。
事実、平日の昼間でも街中では海を見ながらビールを飲んでいる欧米からの観光客や当地でリタイヤメントライフを送っている欧米人の姿を多数見かけます。夜ともなれば、市内南側に位置する歓楽街ウォーキングストリートには、たくさんのネオンサインが満ち溢れます。

僕自身は市内でも比較的静かな北側に住んでいますが、それでも目の前のビーチにはたくさんのスピードボードが係留されて観光客をマリンスポーツに勧誘していたり、海沿いの道にはオープンテラスのレストランが並び、昼間から賑わっていて、リゾート気分がいっぱいです。

個人的に、こうした少しリゾート要素のあるエリアに住むというのは気に入っています。目の前は海で豊かな風が吹きますから、少し散歩するだけでとてもいい気分転換になりますし、欧米人向けに洗練されたシーフードやステーキ、ハンバーガー、ソーセージといった料理を楽しむことができます。もちろん大都市ではないので、デパートなどがたくさんあるわけではありません。でも、買い物にそれほど需要のない僕にはあまり影響がありません。

週末にリゾート気分でリフレッシュでき、美味しい食事が楽しめる。それで十分だと思います。写真は、シーフードのチャウダースープ、そしてハンバーガー。



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成長速度と「備えあれば憂いなし」

あっという間に一週間が過ぎました。僕は週間計画という名前でその週にやることをリストアップして終わったら消していくのですが、何とか今週も少し週末の時間を使えばリストをクリアにできそうです。
事業の成長速度について今回は書きたいと思います。とにかく課題の尽きないタイの事業ですが、今週は特にその「成長速度」というものについて考えさせられました。

一般的に、企業は成長すればするほど良いとされていますし、僕自身も「事業成長なくしては個人の成長もなく、企業は成長しなくてはならない」という信念を持っています。問題は、その速度です。ベンチャー企業の経営を扱った論文などにおいても重要トピックとされているテーマなので、多くの生まれたばかりの企業が直面する課題として、特に重要視されているものなのだと思います。

現在の状況を一言で言えば、「事業の(営業的な)成長が速すぎて、組織が追っつかず、前のめりにぶっ倒れて転びそうだ」ということです。売上ゼロから一気に駆け上がっている状況なので、成長率=無限大。ある程度の軋みは出るだろうと予期していましたが、いやはや大変です。
当社は製造業で、また海外進出による事業スタートですから、ある程度のハードウェアは装備してきています。工場・設備・業務システムなど。その点、ガレージから創業するようなベンチャー企業とは全く条件が違います。恵まれている、と言うこともできるでしょう。
とはいえ、どれほどハードウェアが揃っていても、それをオペレートするのは人間です。それも、入社して3ヶ月前後の素人集団。さらに、そのメンバーの大半とは言葉が通じません(一部の英語・日本語を話すスタッフを除く)。駐在スタッフによるトレーニングも、コミュニケーションの効率が悪くなかなか効果が出てきません。
一方、営業的には大々的に「日本・中国・タイをシームレスにつなぐ生産活動」というコンセプトを売り込んでいますから、顧客からの期待値はとても高い。ハイレベルな要求がどんどん舞い込んできます。ガレージで創業したベンチャーとは違った面で、苦しいアンバランスが生まれてしまうのです。

備えあれば憂いなし、といいます。この状況を見越してもっと早期に人員を増強し、日本の工場に研修派遣して準備していたら、今の状況は避けられたかもしれません。あるいは、トレーニングの効率を上げるため、言葉のわかる人間だけを選別して採用していたら? タイでの工場運営経験のある人材を現地採用していたら? いくつもの「取り得たオプション」を思いつくことはできます。

なぜそれができなかったか? 一言でで言えば、「売上ゼロ、という先行き不透明の状況で、意思決定することができなかった」ということです。事業の未来に対する信念が欠けていた、と言えるかもしれません。それだけのコストをかける、先行投資をするという判断が、僕にはできなかったのです。
ソフトバンク孫正義氏は、身の丈に合わないと言われながらも天文学的な金額の借入をしてまで先行投資を続けてきました。それができるのは、「デジタル情報革命を推し進めれば、豆腐屋のように利益を一丁(一兆)、二丁(二兆)と数えられる事業になる」という確信があるからです。だからこそ、超高速な事業成長にもきっちりと備えをして臨むことができた。彼には、憂いは欠片もなかったでしょう。

高速運転を制御できないドライバーは、ブレーキを踏んで安心できるエリアまでスピードを下げなければ命を落とします。未来を見通せない事業では、成長スピードが遅くなるのですね。悔しいです。














ビジョンは国境を越えているか

前回の記事で、立ち上げ期を抜け出しつつある組織、つまり僕の所属するタイの子会社2社、の統合理念の喪失に対する危機感について書きました。ここでは統合理念といっていますが、実際のところよく使われる言い方にすると、ビジョンということになります。我々はいったいどんな未来に向かっているのか、そこに至る道筋にはどんなストーリーがあるのか。組織が一つの方向に向かっていくには、ビジョンとストーリーがメンバーの理解と共感を得ていることが大切です。

ところで、僕がここタイの事業に臨む際に抱えてきたビジョンは、「スモール・グローバルカンパニーになる」というものです。見まごうことなき中小企業、スモールカンパニーである当社を、すでに事業活動を行っている中国にとどまらず、タイ、さらに米州も視野に、小さいながらもスピードと実行力で大企業を打ち負かすグローバルカンパニーにしたい。大まかにいうとそんなビジョンとストーリーを持ってやってきたわけです。

そこで直面した立ち上げ期の興奮状態からの脱却。統合理念としてのビジョンを、メンバーにしっかりと語り、ストーリーを共有して前に進んでいくべき時期にきています。ところが、どうも上記のビジョンでは具合が悪いような気がするのです。タイで一緒に仕事をしているタイ人スタッフを理解すればするほど、彼らはこのビジョンに共感も興奮もしないんじゃないか?という直感が湧いてくるのです。

理由は、グローバルという言葉にあります。「グローバル企業になりたい、いいじゃないか」と思ったりもするのですが、当社はタイというローカル市場を事業領域として、ローカル市場で勝つためにやってきている。ローカルの積み重ねがグローバルではあるのですが、タイで当社に参加したメンバーにとっては、タイは「母国」なんですね。
日本本社から派遣されたメンバーや本社のメンバーは、タイでの子会社の設立と成長を見て、「いよいようちもグローバルになったなあ」と慨嘆することもあるのですが、それは日本に視点を置いているから思うこと。タイで新たに参画したメンバーにとっては「?」なのです。

僕が抱えてきたビジョンは、飛行機に乗って僕と一緒にタイにやってきたわけですが、結局のところ、どうも「国境を越えていない」ビジョンになっているようなのです。グローバルといういかにも国境を意識しない言葉が込められていながら、何とも皮肉なものです。

ドメスティックな中小企業からの脱却、という自社に対するある種のオブセッションから発生した、「小さくてもグローバルになってやるんだ」という気概は、国境を越えて人々を統合するにはいささか独りよがりだということかもしれません。