思い出せない記憶

またしても新書の衝動買い。金曜に3冊ほどを買い込みました。そのうちの一つがこれ。

脳の中の人生 (中公新書ラクレ)

脳の中の人生 (中公新書ラクレ)

読売ウィークリーに氏が連載していたコラム記事をまとめたもの。一つ一つのテーマが3ページくらいにまとめられていて、とても読みやすい。最後から2番目のテーマに、「思い出せない記憶よ、ありがとう」というのがありました。
よく、「子供は小さい頃のことをほとんど覚えていないから、どんなに旅行に連れて行ったり、どんな話をしても無駄」という話を聞きます。僕もそう思っていた節がありました。特に旅行なんかに関しては。どんなに両親から、「○○歳の時には、□□に行ったんだよ」と言われても、写真を撮る習慣のなかった我が家族には「証拠物件」もなく、「本当に?」と疑ってしまう、そんな経験があったからでした。
ところが、脳のメカニズムという意味では、そうした「思い出せない記憶」の膨大な積み重ねが、豊かな人間を作っていく。そんなことが書かれています。

親や教師は時折、子供達が自分たちのことを将来、どれくらい思い出すのだろうかと考えて、寂しく感じるものである。確かに、自分の体験を振り返っても、学校の授業で、「あんなことがあった」と思い出せたり、幼少期に「親があんなことを言った」」とはっきり想起できることは、ごくわずかである。
それでも、私たち一人一人は、間違いなく、親や教師が与えてくれた無数の「思い出せない記憶」によって支えられている。それが記憶の地層の奥深くにひっそりとしまわれているものであればあるほど、私達の人生観、生き方は有形無形の深い影響を受けるのである。
子供たちは、「ありがとう」を言わずに大きくなっていき、やがて巣立っていく。それは寂しいことではあるが、子供たちの脳に刻み込まれた「思い出せない記憶」は、必ず人生の支えになるはずなのである。

思い出せない記憶こそが、豊かな心と人間を作っていく。そんな風に考えると、未来を担う世代の子供たちには、たとえ覚えていてくれなくてもいい、大人が与えうる限りの豊かな経験をさせてあげたい。そう思いますね。それは同時に、大人たち自身の豊かな経験にも繋がっていくはずだから。
もちろん自分にはまだ子供はいないのだけれど、少し「大人」に近づいた気がする瞬間でした。