死者と関わる

普段読み慣れない分野の本も、という気持ちがあったのでしょうか。以前に雑誌の書評欄で見かけて買っておいたまま手に取らずにいた、「仏教VS倫理」という本を読みました。

仏教vs.倫理 (ちくま新書)

仏教vs.倫理 (ちくま新書)

仏教学者の方が書いた本ということもあって、難しい漢字の仏教用語も多く読みづらい箇所もありましたが、久しぶりに宗教・哲学・倫理といった分野に触れることに。普段使っていない筋肉を使った後の独特の疲労感は残りましたが、無事に読了。
「人と人の間」を律するルールとしての倫理と、「人と人の間」では回収されない<他者>(究極的には最大の他者である死者)との関わりまでも包含する宗教。この二つを対比させながら、宗教の再構築という著者の考えにまで議論は深められていきます。
「死者との関わり」などというと、霊魂だとか幽霊だとかといったオドロオドロしい話を想起してしまいがちですが、ここでいう「死者との関わり」というのは全くの別モノ。著者はこんな風に説明します。

<死>を自分の限界的な事態としてとらえれる限り、行き当たってそこから先はわからないとしかいいようがない。しかし、われわれはすでに死者と関わりを持って生きている、という事実から出発すれば、それは不毛で抽象的な議論ではなく、実際に誰でも経験していることである。
もっとも、自分は死者との関わりなどない、という人があるかもしれない。葬式は生きている人たちのためであって、死者のためではない、とはよくいわれる。しかし、親しい者の死を経験した人ならば、そんなにドライに割り切れるものではないことがよくわかっているであろう。死者の不在は、まさしく不在という事実によって、無限の重さをもってのしかかってくるのを、どうしようもないであろう。死者は無言のメッセージによって語りかけ、不在という事実を突きつける。生者は、不在で無言の死者と関わらなければならない。死者との関わりは、確実になされているのであり、それは決して思い込みや幻想ではない

親しい者の死が、不在という事実によって生者である私達の生き方に影響を与えるのとは異なり、世界・人類に影響を与える死者もいると著者は言います。

死者との関わりは、もちろん時間とともに変化する。次第に忘却され、関係が薄くなっていき、それとともに、死者は単なる不在ではなく、生者を温かく見守るように変わっていくことが多いであろう。しかし、そう簡単に生者を安心させてくれる死者ばかりではない。いつまでも生者を責め続ける死者もいるであろう。アウシュヴィッツヒロシマの死者のように、永遠に人類を告発し続ける死者たちもいる

生と死、そんなテーマについて真剣に考えたことのない「非哲学的」な若者だった僕には、こうした思考は非常に新鮮に思えました。生きている人と死んでいる人、その双方と深い関わりを持ちながら、生きている人間。「死」が新しい関わりへの出発点となるのなら、死への恐怖や悲嘆との付き合い方も、もう少し上手になれるのかもしれません。