小説の毒

長編小説を読み終えて手元に小説の在庫がなくなった日、書店で見つけて「たまにはいいか」と買った本です。

はじめての文学 桐野夏生

はじめての文学 桐野夏生

電車の吊り広告でよく目にする作家、新刊は必ずといっていいほど書店で平積みされている作家。桐野夏生という作家の小説を読んだことはなかったので、その程度の印象でふと購入しました。
これまでに刊行された小説の中から数篇を筆者自身が選んで編みなおした短編集。「小説には毒がある」と題された筆者あとがきには、こんな文章がありました。

いいことしか体に入れたくない人にとっては、「毒」という言葉だけでも拒否反応を起こさせるかもしれません。でも、ちょっと待ってください。毒のない小説なんて、読んだって仕方ないじゃない、と私は思ってしまうのです。皆さん、わかっていらっしゃるでしょうけれども、小説は、リビングルームで見るテレビ番組とはまったく違う種類の表現です。
優れた小説には、いいことばかりは書いてありません。人間の弱さや狡さ、愚かさ、利己的な面が、きちんと書かれているはずです。

全編を読んでみると、確かにあとがきで言うとおり、「毒」と名づけられた人間のダークサイドを主題として扱ったものが多く収録されています。嫉妬・悪意・恐怖・鬱屈した感情などなど。桐野夏生という作家のテイストなのかもしれませんが、そうした主題が実にストレートに、分かりやすく描かれているという印象でした。あたかも、テレビ番組で放映される社会派のドキュメンタリーのように。
ストレートな表現は、確かにわかりやすく読者の頭に飛び込んではきます。ところが、頭というフィルターを通り抜けて心にまで浸み込むかというと話は別。ストレートな表現に「うーん」と唸ってみたりはするものの、30秒後には意識の外に葬られているというケースが多いような気がします。
文字にされない部分、読者の想像に完全に委ねられた部分に、ひっそりと塗られた「毒」ならば、あるいは僕達の心をしっかりと痺れさせることができたのかもしれない、なんてことを考えました。