食料自給率のはなし

小学校のとき、「日本の大豆の自給率は14%しかありません。」といった話を覚えさせられた記憶があります。大豆=○○%、小麦=○○%、・・・。数字そのものの暗記を優先してその数字の持つ意味についての教育をしない日本のダメ教育の一例ではありますが、そうではなく、今回は自給率についての話です。
選挙の季節がやってきたこともあり、またここ数年の穀物価格の値上がりが消費者の生活を直撃しているとの世論の盛り上がりもあって、各政党は農業政策についてマニフェストに謳い、それに関する議論もいろいろなところで展開されているようです。国論二分、というわけではありませんが、食料自給率に関する議論には大きく分けると以下の二つがあるようです。ちょっと極端に書いてみると・・・

国土が狭い上に山間部が多く平地が少なく、地価が高く、人件費も高い日本で農業をするのは非効率。比較優位のない産業を無理やり政治の力で生きながらえさせるのではなく、そんなところに投じているムダな資金をより成長分野にフォーカスして投資し、有効活用すべき。食料は農業生産に比較優位をもつ外国から安くてよいものを輸入すればよく、「有事の際」や「食糧安全保障」といった考え方は国民感情を誘導するためのでっち上げでありナンセンス。現在のグローバル化した国際環境を考えれば、北朝鮮ほどに孤立しても食料輸入は可能。いたずらに危機をあおって日本の農業を保護するために投じられている補助金や高い関税が、どれだけ日本国民に余計な負担を強いていると思っているのか?

これは自由貿易論の立場にたった主張。一方、

自国の国民が食べる分の食料も自給できないようでは国家とは呼べない。いざ戦争や大干ばつなどで日本への食料輸出をどこの国もしてくれなくなったら国民は飢え死にしてしまう。農業は工業・サービス業とは根本的に異なる国家安全保障にかかわる産業であり、市場原理に委ねるのは危険すぎる。事実、自国の食糧確保を優先して輸出を禁止する例も出ている。従って、政治が介入して農業を保護し、有事の際に備える必要がある。また、国内農業の維持発展は日本の伝統文化・景観の保全とともに豊かな食生活にも必須のものである。

私は個人的には前者の考え方に近かったのですが、こんな本を読んでみると少し考えが変わりました。

食料自給率のなぜ (扶桑社新書)

食料自給率のなぜ (扶桑社新書)

前者は農水省食糧安全保障課長が書いたもの。後者は商社・丸紅で食糧市場に長年携わってきた方が書いたもの。どちらも食料自給率を上げなければならない、との主張をしている本ですが、そのアプローチは異なります。こうして異なる立場の本を複数読んでみると、考え方が相対化できて興味深いですね。
現時点での私の食料自給に関する考えは、

世界的な人口増加や途上国の経済成長に伴う食生活の変化に伴う食糧需給の逼迫は確かに起こっており、それが一部の国で食料禁輸といった極端な政策となって現れることは十分に可能性がある。また、地球規模での気候変動が地球の食糧生産能力にネガティブなインパクトを与えつつあるのも事実。
ただ、それに備えるために「すべて自前で、自給率100%を目指す」といった議論は実情から乖離しており日本の国際競争力を過剰に奪う危険がある。食料自給率という数字自体が一人歩きしてシンボル化されている現状も危険。
政治が過剰に介入してそもそも生産性の低い山間部の農業を支援するといったことではなく、海外輸入品とも競争できるポテンシャルを持つ分野(生鮮野菜などは消費地に近い生産者の方が輸送コストが安く競争力を持ちうる、など)を優先した形で振興策を打っていくことが妥当ではないか。また、専業も兼業も高効率業者も非効率業者も一律に「農家」として支援の対象にするのではなく、事業者としてのポテンシャルを考慮に入れた打ち手を構築すべき。票集めのための「誰でも支援」では結果的に農家の甘えの構造と衰退を生むだけで意味がない。
国内での対策と同時に、輸入相手国の多様化に向けた外交を積極的に展開するという外向きの対策も大切。「ひとつのカゴに卵を盛らない」という分散投資と同様の考え方で極端な禁輸措置に対抗しうる国際関係を構築しておく方が、自前主義一辺倒よりもよほど現実的。
自給率については、数字そのものに拘泥するのではなく、「安定調達しうる食料の量」として輸入も含めた安定調達力の指標を別途考案する方がいいのではないか。「自給」という多分に感情的な考えではなく、自国生産と海外生産とをバランスさせて全体としての国民の食料確保を図る、という考え方への転換を図ってはどうだろうか。

とても興味深いテーマですよね、「食」。世界でもひときわ食にこだわる国ニッポンに住んでいるのですから、これからもいろいろと考えていきたいと思います。

 消費性の借金、道具としての借金

田舎から出てきた東大生があれよあれよという間に騙されて、商品先物取引で5,000万円という借金を作ってしまう。金利だけでも600万円(年利12%)が発生するというまさに「借金の底なし沼」にいったん落ちた著者が、必死で勉強した「理詰めでお金を作る方法」で事業を起こし、ついに借金を返済する。本の中では、その一連の経緯が綴られながら、著者の考える世の中の仕組みやお金というものへの考え方が示されていきます。

借金の底なし沼で知ったお金の味 25歳フリーター、借金1億2千万円、利息24%からの生還記

借金の底なし沼で知ったお金の味 25歳フリーター、借金1億2千万円、利息24%からの生還記

著者にとっての最大の気づきは、ついにヤクザの取立てが故郷の両親の元にまで及び「いよいよこれまで」となった時に考えた「消費性の借金と、お金を作り出す道具としての借金」という、お金の性質を二分する概念であったように思います。
彼が当時背負っていた5,000万円の借金は湯水のように投機に使われてしまった「消費性の借金」。一方、その借金を返すために事業を起こす、そのための元手となる借金は、「お金を作る道具としての借金」。借金にまみれて意気阻喪していた著者は、この考えに思い至ったことで新たな光を見出し、追加の借金をして自分の運命を切り開いていく決意をしています。「毒を以て毒を制す」と本書の中では表現されている内容です。
著者の壮絶な経験を通じて「お金」というものの持つ魔性の力といったものの実像を垣間見ることのできる、そんな本です。
ただ、著者が多額の借金からの生還を果たしたからといって、誰しもが容易にこのようなことができると思ってはいけません(当たり前ですよね)。著者は行政書士の業務で元手を作り、そこから不動産投資で成功していきますが、そうした成功の背景にあったは彼が独自に考案したというデータベースマーケティングによる集客システムでした。お客を集めることにかけては絶対の自信を持っていると本人が言うとおり、彼の成功にはそれを支えるビジネス・モデルがあったのです。また、そうした仕組みを考案するために、さまざまな勉強を独学で積み重ねてもいたようです。
優れた事業モデルによって元手の資金を借入金利以上の利回りで運用できる、つまり金利以上の収益性をあげられるビジネスを作れるのであれば、借入金を活用して高いレバレッジを効かせて事業を行う方が得策です。レバレッジを高めれば財務的な安定性は損なわれますが、ビジネス・モデルそのもののリスク大きくは変動しませんから、自信があるのであればレバレッジをかけて事業を行ったほうが効率がいい、ということになります。
著者の場合、自身の生み出した事業の仕組みに信頼を置いているがゆえに、「お金を生み出す道具としての借金」を肯定的に考えることができるのです。一方、「無借金経営」が手放しで賞賛される日本では、まだレバレッジといった考え方自体があまり受け入れられてはいないのかもしれません。普通の人から見たときに、著者の思考が少し「飛んでいる」と思えてしまうのも、そうした背景があるのかもしれませんね。

 人を動かす質問力

これは確か小飼弾氏のブログで紹介されていたので買った本。

人を動かす質問力 (角川oneテーマ21 C 171)

人を動かす質問力 (角川oneテーマ21 C 171)

弁護士である著者が、経験から導き出された質問することの重要性を、実践的な活用方法とともに記した本。新書で読みやすく、あっという間に読了するけれど、内容はとても「実用的」。読まないと損をする、という表現がぴったりとくる実務書であると感じました。
一番なるほどと思ったポイントは、質問という行為が「相手に考えることを強制する手段」であると定義づけられている箇所。確かにそうですね。「考えてください」と言っても相手が考えてくれるかどうかはわからないし強制することはできないけれど、それが「質問」という形をとった途端、人はつい無意識に答えを「考えて」しまいます。本書では、そうした強制力のほかにもいくつもの「質問の持つ力」が紹介され、その使い方を学習できる構成になっています。
ひとつひとつマスターして使っていくのはかなり難しいし、中には「?」と思うものがないわけではないけれど、うまく人に言いくるめられて人の思うとおりに動かされてしまった経験がある方や、周囲の人が自分の思うとおりに行動してくれない・反応してくれないといった状況で悩んでいる方には一助になる本だと思います。

 死ぬときに後悔すること25

Twitterで少し話題になっていたので読んでみました。自身の健康状態と関連付けたわけではありません。

死ぬときに後悔すること25

死ぬときに後悔すること25

末期がん患者を対象とした終末医療で緩和治療(肉体的苦痛を除去することを専門にする)に携わる医師が書いた本です。ほぼ最後まで読みきったところで、著者が1976年生まれということを知り、少し驚きました。30代前半にして、1、000人を超える人の最期に関わってきたということ。医師としても独特なキャリアを持つ方であり、また多くの死とそれに際した患者本人と家族とを見てきた方。それだけに、文章も力強く、また愚直な人柄が伝わってくる。
そんな数多くの死出の旅立ちを見送ってきた著者が、「人は死ぬ間際にどんなことを後悔しているか」を綴ったのが本書です。25項目挙げられていますが、特に順位がついているわけではなく、あくまでも著者の経験からして主だったものを記したのだそう。いくつか例を挙げると、

健康を大切にしなかったこと
自分のやりたことをやらなかったこと
夢をかなえられなかったこと
他人に優しくしなかったこと
故郷に帰らなかったこと
行きたい場所に旅行しなかったこと
会いたい人に会っておかなかったこと
愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと

それ以外にも、「子供を結婚させなかったこと」や「美味しいものを食べておかなかったこと」など少し微笑んでしまうようなものもありますが、一つ一つについて丁寧に著者自身の経験と思いが書き連ねられています。
後悔しない人生を送りたいというのは誰しもの共通の願いでしょう。たとえそれが大きな成功や名声に満ちたものでなかったとしても、後悔だけはしたくない、という思いを誰しもが持つはずです。それでは、後悔をしない人生を送るためにはどうしたらいいのでしょうか?
明日死んでもいい、今日死んでもいい、という気持ちで毎日を生きること。という考えに私は共感しています。Apple社のCEOであるスティーブ・ジョブズスタンフォード大学の卒業式で行った有名なスピーチにも、「死について」という話が出てきます。3つの話のうちの最後のひとつとして。そこで彼が言ったのも、「毎朝鏡の前に立って、『もし今日死んでしまうとしても、今からやろうとしていることをやるか?』と自分自身に問いかける。もし『No』という答えが幾日も続くようだったら、それは何かを変えなければいけないということだ」という内容でした。彼は30年来、それを毎朝繰り返しているのだそうです。

誰だって死にたくはありません。ジョブズもスピーチの中で、「No one wants to die. Even people who wanna go to heaven, don't wanna die to get there」と言っている通り。だからこそ、死ぬときに後悔しない生き方をする。「死」にいったんフォーカスをすることで、ぼやけていた「生」にしっかりとピントがあって何をすべきか見えてくる、そういうことなのかな、と思っています。

 ミステリに浸かる

年末から正月にかけて、読書はすべて小説、それもミステリを読むと決めていました。その誓いを見事に果たして6冊を読了。

容疑者Xの献身 (文春文庫)

容疑者Xの献身 (文春文庫)

探偵ガリレオ (文春文庫)

探偵ガリレオ (文春文庫)

予知夢 (文春文庫)

予知夢 (文春文庫)

いずれも東野圭吾のガリレオシリーズ。映画「容疑者Xの献身」がとても面白かったので、その小説をという気持ちでシリーズ第三作にあたる作品から読み始めました。
それぞれ1日ずつで読み終えてしまい、当然気になるのは2刊同時に出版された新刊書。
ガリレオの苦悩

ガリレオの苦悩

聖女の救済

聖女の救済

「ガリレオの苦悩」が短編集なのに対して、「聖女の救済」は長編です。
ミステリ小説をあまり読まない僕にとっては、ミステリ=「トリックを楽しむもの」」というイメージがあるのですが、どうやら最近のミステリ小説は違うようですね。
殺人・トリックという要素はもちろん重要な部分を占めてはいるものの、殺人という衝撃的行動に至るまでの人間の行動・心理・感情の動きや、それを惹起する現実世界のさまざまな出来事。その哀しさにスポットライトを当てている。
時として悲恋小説のような切なさを覚えさせられるのは、きっとそうした物語の展開によるものなのでしょう。
ゴールデンスランバー

ゴールデンスランバー

このミステリーがすごい!」第一位に選ばれた作品。以前に同じ著者の「オーデュポンの祈り」という小説を読んだことがあったので、そのつながりもあって晦日に購入。こちらはガリレオシリーズとは違い、首相暗殺をめぐる陰謀に巻き込まれ、犯人として国家権力に追い詰められていく主人公を描いたもの。
自分の力では立ち向かいようのない「大きな力」の前にどんどんと追い詰められていく主人公。そこには、ハリウッド的な楽観論やヒーロイックな爽快感を一切排除した冷徹な物語展開が待っています。映画化されるかもな、と思わされるスケールの大きな一冊でした。

 国策捜査と外交官の責任感

フォトリーディングを使わずに普通に読みました。筆者の筆力と驚異的な意志力、そして恐ろしいまでに克明な記憶力に圧倒される一冊でした。

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)

バッシングの嵐に沈んだ鈴木宗男議員と、彼と当時の日本政府の命を受けて日露平和条約締結に向けた活動を秘密裏に進めていた筆者について、逮捕・裁判での有罪判決でいちおうの終焉を迎えるまでの記録が克明に綴られていました。
「時代のけじめ」として、従来型の古いタイプの政治家や官僚機構を葬ろうと国策捜査を展開する検察と、「国益」を何よりの価値として日露平和条約に向けた歩みを守ろうと奮闘する外交官である筆者。どちらが正しく、どちらが間違っているという黒白の判断など到底できない世界。
僕たち一般市民には縁遠い話と片付けることもできますが、こうした世界で真摯に自らの使命を全うしようと働く人々の姿は心に残ります。
筆者が描く拘置所内の生活ぶりなども興味深く読めました。

 ランスのトレーニング

ツール・ド・フランス7連覇という前人未到の業績を残したランス・アームストロングが書いたサイクリスト向けの本を読みました。

ミラクルトレーニング―七週間完璧プログラム

ミラクルトレーニング―七週間完璧プログラム

自転車そのものの構造から始まって、ライディングテクニック、トレーニング法、メンテナンス法、食事と栄養と、自転車で「強くなる」ための要素がたくさん詰まった一冊でした。もちろん彼のレベルをすべて真似することはできないけれど、参考になるポイントを積極的に取り入れていくことはできそう。
特徴的だったのは、トレーニングにハートレートモニターを使った心拍管理の発想を徹底的に盛り込んでいることと、積極的休息(アクティブ・レスト)をトレーニングそのものと同じくらいに重視しているということ。
心拍数を指標に身体を鍛えていくわけだけれど、同時に身体に無理なストレスをかけすぎないように、休息(といっても低運動レベルでの運動は行う)をきっちりと取っていくという考え方が大切なんですね。