雨の日に考えるタイの人々の幸福論

6月も終盤を迎えて、日本は梅雨まっさかり。今日は午前中の早い時刻こそ曇り空を維持してくれていましたが、午後に入ると強い雨が降り続いています。先日日本に帰国した際のフライトで聞いたCAの着陸時の機内アナウンスが印象的でした。「鬱陶いしい梅雨の季節ではございますが、皆さまお体に気をつけてお過ごしください。」確かにその通りなのですが、「鬱陶しい」という表現を公の場で使うのはどうなんだろう、と一人不思議な思いがしたものです。

私が年の半分ほどを過ごすタイの国は、1年の40%ほどが雨季。雨季というと日本の梅雨のような季節がずっと続くのかと現地に赴く前はそれこそ憂鬱な気持ちがしましたが、実際のところはそうではなく、「1日に1回または複数回、激しい雨が降る時間帯がある」という程度。日本の梅雨とは比べるべくもなく気楽なものです。

それでもそうした時間限定の豪雨が度重なることで、川の水位が上がり、やがて洪水となって街を飲み込んでしまうこともあるのがタイの雨季。決して侮ることはできません。また、排水インフラが全国的に未整備なので、豪雨が数時間にも及ぶとそこらじゅうが水浸しになり、通勤・通学をはじめとしてあらゆる移動が著しく滞ることになります。

タイ人の時間感覚はかなり緩やかで、30分程度の遅刻はほとんど罪悪感なし、という感じですが、もしかするとそうした感覚が生まれた背景には「雨が降ったらどうにもならない」というある種の諦念があるのではと思います。

もう一つ興味深いのは、彼らタイ人が雨を決して「嫌なもの・鬱陶しいもの」とは感じていないこと。むしろ、雨が降っているのを室内から眺めて「ロマンティックだ」「美しい」と感じというのです。自分の力でコントロールできないことにいたずらに苛立つのではなく、「Mai pen rai(Never Mindとか、Take it easyといった意味)」とさらりと受け流して自然体で生きていく。それが彼らなりの幸福論なのかもしれません。

 

外国人起業家を増やすには

先日こちらで紹介した「コンビニ外国人」という本の中で、個人的に興味を持ったテーマが「外国人起業家」です。

日本に在留する外国人の中に、ごく僅かではあるものの「経営・管理」のビザを保有し起業している人々がいることが紹介され、彼らが起業に至った経緯や途上で遭遇した困難やそれをどう乗り越えて行ったのか、といった事例が紹介されています。

外国人が日本でビジネスをはじめるには、日本人より多くのハードルを越えなければならない。  まずはビザの変更だ。通常、起業を目指す外国人が「経営・管理」の在留資格認定を受けるためには、入国管理局へ申請する前に事務所を開設しておく必要がある(ユイさんの場合は前もって店舗を借りていなければならず、物件の契約には日本人の保証人も必要だった)。さらに常勤の従業員を二人以上雇用するか、資本金額または出資総額が五〇〇万円以上なければならないなどの要件が加わる。  そのため日本に長く住む外国人でも「経営・管理」の在留資格を持っている人は少なく、全体の1%未満に留まっている。ましてや日本に滞在歴のない外国人が日本で起業してビジネス展開することはほとんど不可能に近かった。

この文章を読むと、いかに外国人が日本で起業することが困難か、容易に想像がつきます。ただでさえ外国人が不動産を借りたり銀行から資金調達をするのは困難である中で、このようなビザ要件が加われば、おそらく起業の地として日本を選ぶ外国人はほとんど現れないでしょう。

それらを打破する取り組みとして、以下のような事例も紹介されます。

二〇一四年以降、〝アジアのゲートウェイ〟を標榜する福岡市など一部の国家戦略特区で、ビザの取得要件を緩和する「スタートアップビザ(外国人創業活動促進事業)」制度がはじまった。  福岡市は、国籍を問わずに起業を目指す人を支援する施設「スタートアップカフェ」を官民一体で立ち上げ、保証人のいらない事務所物件の紹介や専門知識を備えた士業の仲介などを通じて、外国人起業家を支援しているのである。  万が一、相談時に「経営・管理」のビザを取れる要件が整っていなくても、創業活動計画書などの確認をもとに市と入国管理局が審査をすることで、六カ月間の「経営・管理」の在留資格が認められる。「経営・管理」のビザを正式に満たす要件は、六カ月間で整えればよく、創業する外国人は事業の準備をしながら手続きを進めることができるというものだ。  

依然として戦略特区の制度を活用した一部地域の事例であるとはいえ、こうした取り組みが拡大してくことがとても楽しみです。というのも、日本には起業の機会が、特に外国人の目線で市場を見つめた時に見いだせるであろう機会が多くあると思えるからです。

日本はある意味で非常に洗練され完成された社会。その裏返しとして、固定観念・「こうあるべき」「これが当たり前」という通念が広く人々に共有され、諸外国ではありえないような不便が「当然のこと」として受け入れられているようなケースが多いと感じます。また、これまでクローズドな社会であったがゆえに、外国人にとって必要なサービスが未整備という状況もあります。

そうした起業機会を、日本人が見つけるのはやはり難しい。社会通念やしがらみの「当事者」であるからです。そこで、外国人起業家に期待、というわけです。彼らの目線で見た「こうあるべき」を事業化し、日本の社会に刺激とより開かれた可能性を見出してほしい。私も個人的に何かできることはないか、アンテナを張っています。

 

 

移民政策のない日本にどうしてこんなに外国人が働いているのか

こちらの本を読みました。

 

ジャーナリストの著者が、日本のコンビニ店頭にどうしてこれほどまでに外国人の労働者の姿を見るようになったのか、という所をトリガーとして「日本における外国人の就労と彼らの生活」について調査をしたというのが本書。

確かに、日本の製造業・サービス業のあらゆる「現場」において外国人の姿を見ないことはありません。昨今の人手不足・人件費高騰のおり、企業にとっても外国人は貴重な労働力であり、一方の外国人におっても(短期的な現象かどうかは別として)ここのところ上昇著しい賃金相場の状況は、日本という国の「就業国」としての魅力をさらに高めるでしょう。

ただ一方で、本書で力点を置いて紹介されるのはそうした外国人労働者を取り巻くルールと現実の歪み、そして収入獲得のために日本を目指す外国人を「食い物」にしている現地および日本の各種企業・団体・学校の醜い姿。

留学にせよ技能実習にせよ、本来の目的とは異なる「出稼ぎ機会」をアピールして労働者予備軍を勧誘し、高額なアレンジメントフィーや日本語学校の授業料を巻き上げる悪質業者のやり口。それらは「国際交流」とか「途上国支援」といった理念を看板に据えているだけに一層そのグロテスクさを増し、海外で仕事をする私自身の思いと照らして何ともやりきれない気持ちにさせられます。(もちろん良質な業者もいる、という前提ですが。)

海外で生活をしてみて、やはり日本という国はそのインフラ、サービス、環境などいずれをとっても世界で有数の住み心地のいい場所だと思います。そこで仕事をしたいと思う外国人がたくさんいることは純粋に嬉しい。ただ、現行の制度はそうした外国人に歪んだインセンティブを提供する仕組みになっており、そこに群がる人々の悪しき動機を制御できていない。そうした現実を、日本に住む外国人や彼らに関連する企業・団体等への多くのインタビュー・調査を通じて浮き彫りにしているのが本書。日本に在住する外国人に対して「良い・悪い」の視点ではなく、現実を見るために必読の書。

 

007シリーズを原作で読む

 何を隠そう映画007シリーズのファンです。といってもロジャー・ムーアショーン・コネリーが演じていた「古き良き時代の007」ではなく、ダニエル・クレイグが演じる最新シリーズが好みです。ボンドガールやハイテクな道具が脚光を浴び、ジェームズ・ボンドの色男ぶりばかりが取り沙汰される娯楽映画としての前シリーズとは違い、ボンドが人間臭く描かれ一人の男性として素直に格好いいと思えるところが好きなのです。

この007シリーズには原作があるということを最近知りました。たまたま立ち寄った本屋で見つけてしまったのです。それ以来、立て続けに原作を読んでいます。2週間あまりですでに4冊目に突入。

何がいいのか? ジェームズ・ボンドが実に普通の人間として、(確かに優秀なスパイではありながらも)恐れ、戸惑い、誘惑に溺れ、騙されて、それでも何とかミッションを成し遂げていく。と同時に、生活習慣や食べ物・飲み物、衣類など、英国紳士としてのこだわりが随所に描かれ、冒険譚の中にも生きることを楽しみ、日々のスリル溢れる仕事の中にも遊びの要素を取り入れる。人間ジェームズ・ボンドの魅力がたまらない。

小説としても大ヒットを収めたシリーズだけに、ストーリーやボンド以外の登場人物の魅力も十分に楽しめます。言うまでもなく、ボンド・ガールと言われる主役女性が作品ごとに代わる代わる登場。その魅力も味わえます。

また、作品ごとに舞台となる国が多彩に登場し描写されるのも楽しさの一つ。トルコ、ジャマイカ、ロシア、もちろんイギリスも。紀行小説として読んでみてもいいかもしれません。一冊で何度も美味しい思いができてしまうとは、しばらく私も読み続けることになりそうです。

 

 

Kindle Fire HD 8 は買いか?

1週間前、日本を出てタイに向かう直前にKindle Fire HD8 を購入しました。Amazonタイムセールでなんと5,980円(プライム会員向け特別価格でも通常は8,980円)ということで、Apple製品以外のガジェットはここ数年購入していなかった私の禁を破るだけの破壊力ある提案。もうこれは怖いもの見たさというか、試してみたくなってしまいます。(iPad Proをヨメに譲って以来タブレットなし生活だったのですが、やはり色々と不便だった。。。)

Amazon独自のOS(Androidベース)ということで、アプリをGoogle Playから自由にダウンロードというわけにはいきませんから、その他のandroidタブレットと同列に比較はできません 。ここでは純粋に「道具としてのFire HD 8」について書いておきたいと思います。

Kindle Fire HD 8、一言で言えば「読書と動画鑑賞の最強ツール」。最強であるがゆえに、それ以外に使い道を求めてはいけません。メール?やめておきなさい、Gmailアプリすら使えないのだから。SNS?まあいいかもね、でもカメラはオマケ程度の性能だし、文字入力は端末サイズと日本語入力ソフトの貧弱さからストレスフルです。新聞?日経電子版アプリはそこそこ使えるけれど、動作はモッサリ。もしかしてAmazon以外のアプリは意図的に遅くしていませんか?

この通り、あえて用途を拡張できないことに潔ささえ感じます。

一方で、Kindle版の電子書籍においてはその「コンテンツ紹介→ストアで詳細確認→購入→ダウンロード→閲覧→関連書籍へのアクセス」までの一連の流れが完璧なまでにシームレス。端末購入から1週間で、すでに小説2冊、ビジネス書2冊、漫画10冊を購入して読んでしまいました。まさに、Amazonホイホイです。iOSではAmazonアプリからのコンテンツ購入が厳しく制限されているだけに、この操作性の高さは圧倒的に便利と感じます。

動画について。Amazonとしてはプライムビデオに誘導したいのでしょうが、Netflix愛用者の私としてはついそちらを観てしまいます。Netflixアプリは動作・操作性いずれもiOS版と遜色なく、違和感なく利用できます。ちゃんとダウンロードもできます。スピーカーもiPad Proほどではないにせよ問題なく視聴できるレベルですし、愛用のApple Air PodsもペアリングOK。言う事はありません。

アウトプットは主にPCでやっていて、タブレットにPC代替となる多様な機能を求めない人。ベッド脇や外出先での読書や動画鑑賞に安価で高品質なタブレットがほしい人にはうってつけ。タイムセールが次回いつ開催されるかはわかりませんが、この価格なら落として画面が割れても心が折れる事はありません。

 Amazonのコンテンツ販売戦略にどっぷり浸かり、Amazonホイホイの中でもがきたい人はぜひお試しあれ。(何だか提灯記事みたいになってしまった。)

 

 

Fire HD 8 タブレット (8インチHDディスプレイ) 16GB

Fire HD 8 タブレット (8インチHDディスプレイ) 16GB

 

 

 

 

 

 

組織がプロ化するということ

タイで会社を設立して2年、本格的に事業活動をスタートして1年ほどが経過しました。まだまだ利益を出せる状態にはなっていないものの、お客様から定期的に注文をいただき、新規の取引に向けたさまざまな取り組みが行われ、ようやく「会社らしい」姿になってきたという実感を持っています。

そんな中、創業から2年の悪戦苦闘を支えてくれた第1号の現地スタッフが会社を去るという、寂しい出来事に見舞われました。家族をとても大切にするタイの人々。彼女もまた、地元に残してきた病身の祖母を介護するため、地元に帰るという決断をしたのでした。「この会社は私にとって家族のようなもの」と涙しながら退職の意向を告げた彼女に、僕は「いつでも戻って来ればいい」と声をかけました。
会社の草創期というのはどこも似たようなものだと思いますが、1人のスタッフが2役どころか5役も6役も果たしているもの。実際のところ、退職する彼女の日々の仕事は僕に言わせれば「ジャグリング」状態で、複数部門の管理職を兼務してスタッフをマネジメントしながら、自身も経理や人事など信頼できる人材にしか任せられない仕事を一手に引き受けてくれていました。

そんな優れた「ジャグラー」が会社を去るということは、一体何を意味するのか’? 混乱? そうでしょう。私と一緒にタイで仕事をしている日本人駐在員の一人は、その後の混乱を思い、「彼女の家族の面倒を会社で、いや、私が見ますから何とか引き止めてください」と僕に詰め寄ったのでした。(お酒に酔った上での発言ですが・・・)。
ただ、僕は随分と違った見方をしていました。混乱はもちろんあるでしょうが、その上での「成長と発展」が組織にもたらされる可能性の方が大きいと感じていたからです。生来の楽天家であることもありますが、やはり「事業の成長ステージに合わせて、それを支える人材は変化していく」という摂理を意識していたからです。もちろん彼女がチームからいなくなることはこの上もなく寂しい。ゼロから二人三脚で会社の形を作ってきたある意味でのパートナーでしたから、その感情は人一倍ありました。でもそれと同時に、新しいメンバーが作り出していくであろう新しいチームとその仕事に、ワクワクするものを感じていました。

その後の話をしましょう。結果的に、「ジャグラー」として彼女が切り盛りしていた仕事は、3名の専門的業務経験を有する新規採用のスタッフに引き継がれました。採用面接には彼女にも出席してもらい、会社ののカルチャーや外国人である我々と一緒に仕事をする上での適性などをアドバイスしてもらいながら。。。一人でやっていた仕事を3人に引き継ぐ!?と驚かれる向きも多いかと思いますが、すでに事業の規模も拡大しており、それぞれの分野に専任のスタッフを置くに十分な業務量があった上、仕組みや質の向上という意味でも、それぞれの業務分野が専門家を必要としてたのです。

新任スタッフが業務を引き継いで1か月あまりが経過し、彼ら(全員が女性なので彼女ら)は各々の持ち場でその持ち味を発揮しつつあります。これまでの経験をもとに、会社の仕組みをアップグレードする提案を出し、次々と仕事のフローをバージョンアップしているのです。しかし、彼女らにとってみれば、何もすごいことをやっているわけではありません。経験と知識にもとづいて、「会社を当たり前のあるべき姿にする」という作業を行っているのです。こうして、組織は専門家を迎え入れ、「プロ化」していくプロセスを歩んでいく。事業の成長と進化にとっては、これは欠くことのできない歩みです。

もし第1号社員であり優秀なジャグラーであった彼女が会社を去ることなく、新規採用もなかったら? その問いはやめておきましょう。チームの貴重な一員を失ったのはやはり痛手ですし、できることなら一緒に仕事をしていたかった。その気持ちに嘘はありません。
ただ、その感情だけに囚われていては、組織の変化と成長は難しくなる。両立ができれば一番なのですが、それは叶わぬ願いというものでしょう。
















そもそも何のため? という質問の大切さ

社会人になって最初に就職した会社(銀行)には、当時の僕には存在理由のわからない数多くの書類や伝票、そしてそれらを扱う方法を定めたルールが存在していました。「事務マニュアル (正確な名前は忘れてしまいましたが・・・)」という電話帳くらいの厚さのブックレットが支店には保管されていて、わからないことがあるとそれを調べます。それでも、細かな事務のルールはしょっちゅう変わっていて、そのたびに「通達」と呼ばれる電子回覧板みたいなものが配布されて、ルールの追加や変更が行われます。どうしても曖昧な個所が出てくると、同じくルールの定義に当惑している上司の指示で「事務統括部」というルールを決める部署に何度も電話して問い合わせをした記憶が残っています。そして、処理後の伝票・書類に赤ペンで「事務統括部●●様に確認済み」というコメントを加えるのです。これで、後で処理方法の間違いを咎められても言い訳ができ無罪放免。何ともサラリーマン的ですが、これは当時けっこう多用しました。

当時は、そうしたルールがいかにも無駄で意味不明で、「事務」という名詞を聞いただけで吐き気が出るような気分になりました。その後に転職した先の商社にはルールはほとんど存在せず、自分の判断で業務を処理できる環境だったので、あまりの自由さと事務の少なさに逆に驚いてしまったくらいです。

会社が業務オペレーションをしていく上では、効率や処理の正確性を最適なものにするために「標準的な処理方法」が定義されルール化されることになります。1人や2人でやっているうちはルールも何もありませんが、一定以上の規模になれば、一つの最も適した方法をルール化し、みんながそれに沿って処理を進めるのが効率的です。そうしたルールを書き込んだ書面が「マニュアル」と呼ばれrます。

銀行においては、金融という業界に独特のコンプライアンスや個人情報保護、社会インフラとしての責任などから、その業務処理にも多様な視点から多様な要請が加えられます。結果として、一般の人からは(行員からすら)意味不明なルールが制定されることになるのですが、もともとに立ち返ればそれは上記のような「最適な処理方法」の標準化の結果でしかありません。銀行側の説明が不十分で、行員が理解不十分(僕を筆頭に)だったことは問題ですが、「事務」や「マニュアル」そのものを憎悪していた僕の考えは、かなり的外れだったと言えます。

現実に、会社をゼロから作ってある一定の規模を越えてくると、「業務ルールの設定」「標準化」の必要性を痛感するようになります。先月はこう処理したけれど今月は別の方法でやった、とか、Aという製品はこうしたけど、Bは別の方法で処理したなどということになると、事業に深刻な問題を発生させかねません(業務の定式化と正確性)。また、Xさんが担当すると1時間で終わる業務が、Yさんだと3時間かかるといった事態も避けなくてはなりません。限られたリソースをいかに効率的に活用するか、というのは重要なポイントです(業務の効率性)。

こうした理由から、経営者にとってこの「ルール作り」というのは重要なテーマになります。そして、「いかに優れた処理方法をデザインしてルール化するか」が腕の見せ所になるわけです。当然ながら、業務オペレーションに不可欠になっているITの要素も絡んできます。目指すべきは、正確性を担保した上で最速の処理を実現できるオペレーション・デザインです。

ところが、いかに心血を注いでオペレーションデザインをし、ルールとして設定しても別の問題が出てきます。それは、上記の銀行のケースのように、「ルールの設定された背景や根拠が運用者に理解されない」という問題です。仮に第一世代の運用者には理解され、「なるほど、このルールならスピーディーかつ正確に仕事ができるぞ」と喜ばれたとしても、第二世代・第三世代と時間が経過していくうちに、やがてルールの作られた背景は忘れられ、「なぜこんなことをしなくてはいけないのか?」と疑問と不満をぶちまける人が出てきたりします。あるいは、環境の変化に伴ってルールそのものが時代遅れになっている(ITの進化でもっと効率的な方法が可能になった、とか)ケースもあるでしょう。

いったんルールを設定したら、運用者にはきちんとその背景を伝えて理解してもらうことはもちろんですが、定期的に「そもそも何のために?」という質問に答えるためのコミュニケーションを実施したり、環境の変化も踏まえてそのルールが最適なものになっているのかをレビューすることが、とても大切なことです。