手間をかけると愛おしくなる 自分で作るということ

最近、ヨメが自宅でパンを作ったり、豆腐を作ったり、ベーコンを作ったり、はたまた果実酒を作ったりしてくれます。普通はスーパーで買って来るのが当然というものを、自宅で作る。僕が育った家庭はそういうことに関心のない家庭だったので、「買ってくるのが当たり前」なものたちがどんどん自宅で材料段階から作られて行くのを見るのはとても新鮮です。
そうしてゼロに近いところから家族の手で作られた食べ物は、自然と美味しいと感じるものだし(本当に美味しいのです)、何より食べるという行為そのものをある種の「愛おしさ」とともに体験することができているような気がします。ありがたいなぁ、素晴らしいなぁ、と。美味しさという感覚に、そうした愛おしさまでが加わると、実にすがすがしいものです。
以前にこのブログでも紹介した禅についての本の中で、「同じコーヒーを淹れるにしても、コーヒーメーカーではなく、豆を煎り、自分でひいて、ゆっくりとお湯を注ぎながら時間をかけて用意した一杯は、まったく違った存在になる」というような記述を読んで「ほお」と思ったものですが、時間と手間をかけて自分の手で作る/家族の手で作られたものをいただくというのは、日々をみずみずしく、大切に生きる上でとてもいいものだと感じます。
「産業化社会で人間性が失われている」などという紋切り型の話しをするつもりはありません。利便性の高まったおかげで、これまでできなかったことが沢山できるようになったり、快適になったりしているのは間違いのない事実なのですから。そこに、「自分で手間をかけて作る」というスパイスをi少し加えると、とても豊かな気持ちが芽生えてくるということ。
ムスメがいろいろなことをどんどん吸収していく今、そうした豊かな気持ちを家族と味わうのが「当たり前」と感じてくれるようになるといいな、と思っています。

 圧倒的な行動力が組織を変える

久しぶりに心が震える本でした。先日参加したSalesforce.comのセミナーで前半部分の講師として登壇した営業改革コンサルタント・横山氏の近著です。本のタイトルからすると、自分からはまず手に取らないタイプに見えるこの本、しかしよかった。

絶対達成する部下の育て方――稼ぐチームに一気に変わる新手法「予材管理」

絶対達成する部下の育て方――稼ぐチームに一気に変わる新手法「予材管理」

営業改革というテーマは目新しいものではなく、僕自身も過去の仕事の中でそれに近い内容を顧客に提案したり、研修を設計したことがある領域。この領域を大きく分けると、トップセールス経験者が自身のノウハウを開陳するというタイプの「トップ営業マンの秘密教えます型」と、マーケティングや組織行動論の理論に根差したロジカルな営業マネジメントで成果を狙っていく「戦略的営業型」の二つに分かれるもことが多い。(僕が設計していたのは後者のタイプ)
横山氏の考える改革のあり方は、そのどちらでもない。強いて言えば、営業改革という分野ですらないというのが個人的な感想です。営業ではなく、営業を起点にして組織・企業そのものを変えていくというアプローチだと感じました。キーワードはいたってシンプルで、「圧倒的な行動量」。営業でいえば、とにかく顧客とコンタクトをする回数を増やすというもの。「おいおい、結局ありきたりの根性論じゃないか」とここで止まってはいけない。
PDCAのマネジメントサイクルを素早く回しスピーディーに戦略を軌道修正していく者が勝つという黄金律がありあす。僕もミスミという会社で仕事をしていた頃、とにかくこの「ぐるぐる回し」を速く実行するということを叩き込まれました。問題はP・D・C・Aのどこに力点を置くか。
正直に言えば、僕は「P」に力点を置いた考え方にたった行動をしてきました。ミスミが非常に戦略プランニングを重視する風土であったことが影響していますが、そのうえでビジネススクールで学ぶといった経験を蓄積したため、さらにプランニング重視が磨かれた感じがします。優れたプランニングなくしてDo(実行)を行っても、貴重なリソースを無駄に使うだけに終わる、だからプランの切れ味を増していくことが第一なのだ、と。
もちろん、P(プランニング)が優れていれば後のD(実行)は力を抜いてもいいというわけではありません。ミスミではプランの切れ味と同時に「愚直な実行」を重視していました。ただ、この本を読み終えて今感じているのは、Do(実行)が無駄に終わることを恐れていたり、Do(実行)のボリュームを徹底的に確保することのできる組織力なくして、優れたプランも糞もないんじゃないかということ。言い方を変えれば、Do(実行)のボリュームとそれを支える組織の力がないままにプランニングの切れ味を求めても、結局のところそれは意味がないのではないか、と。
まず、仮に優れたプランができた場合であっても、Do(実行)を圧倒的なパワーで進めていく組織力が育っていなければ意味がない。また、プランを作成していくに際して不可欠な「現場の気づき」「現場感」は行動する中でしか生まれてこないがゆえに、行動なきプランニングには意味がない。2つの「意味がない」に行き当たる。
本書が僕に与えた示唆は、単に「行動がすべて」ということではありません。優れたプランニングが重要であることは変わりがない。ただし、優れたプランの完成を目指す前にすることがある、ということ。それはすなわち、圧倒的な行動量を生み出すパワーを組織に実装すること、そして行動の中から得られた現場の気づき・叡智をプランニングに反映させる風土と仕組みを実装すること。いわば、PDCAではなく、O(組織のパワー)があり、そこからD→C→Aのサイクルをがんがん回す。そして地に足の着いたPを見出していく。O ⇒ D→C→Aサイクル ⇒ P ⇒ D→C→Aという流れです。
本書では、最初のステップにあたるO(組織のパワー)の生み出し方について記されています。営業マネジャーというよりは、むしろ経営者が手に取ってほしい本だと思います。

消費するより生産するほうがテンションが上がる

大学院の同窓@nasakaswaさんのツイートで読んだLifehackerの記事「一日を消費者ではなく「生産者」としてスタートしよう!」が素晴らしかった。1日を生産者のモードでスタートするか消費者のモードでスタートするかで、1日が決まるというもの。
ここでいう消費とは、主に情報を消費すること。メールをチェックしたりニュース記事を読んだり、Twitterを見たり、外部から与えられる情報を受け身で受容していくということ。反対に生産とは、自分の頭の中にあることを文章にするなどして情報を生産すること。
自分を振り返ってみると、ソーシャルメディアとモバイルツールが身近になればなるほど、1日の時間に占める「消費」の比重が高まっていっているのを感じます。TwitterFacebookを特に何の目的もなく眺め、そこで気になった記事やリンクがあれば読んでいく。するといつの間にか時間が経ってしまう。
ソーシャルメディアの場合、テレビをだらだら見るのとは違って優れた情報に出会う可能性もあるだけに、その行為がまったくの無駄ではない。むしろ、ソーシャルメディアを通じた情報入手を始めた当初は、その品質の高さに驚いたものだし、従来のメディアとは隔絶したレベルの高さに酔ったものでした。が、ソーシャルメディアが一般化して多くの人がソーシャルメディアの場に情報を投じるようになった昨今、その品質は徐々に低下してきている。かつてはどれもが玉に見えた情報も、しだいに玉石混交になってくる。メディアがたどる当然の帰結を、やはりソーシャルメディアも辿ってきているということでしょう。
そんな中で自分の時間を生産的なものにしていくにはどうしたらいいか。冒頭の記事は一つの示唆を与えてくれました。それが、「モードを変える」ということ。記事が指摘するとおり、1日のスタートをどんなモードで開始するかによって、その日のテンションや気分といったものが変わってくるというのは間違いない。朝を軽いランニングでスタートすると1日がすごく気分よくハイテンションで過ごせるというのは自分自身も経験していることなので、この示唆はとても腑に落ちました。
さっそく、2日ほど前から行動を変えてみました。具体的には、1日のスタートをアウトプットでスタートする。ブログを書いてもいいし、1日や1週間の計画を作るといったことでもいい。あるいは、食事を作ったりするのもいいでしょう。とにかく「何かを生み出す」ことで1日をスタートさせてみる。
もう一つこれから実施しようと思っているのは、情報入手の窓口のスリム化ということ。Twitterのフォローを見直したり、RSSリーダーの登録を見直したり。Facebookについても、チェックする頻度を大きく下げようと思っています。特にTwitterは、有益な情報を提供してくれる人が、同時に個人的・些末な内容を多くTweetするので、どうしても品質が低下してしまう。ここの見直しは難しく効率も悪いので、いっそのこと読むのをやめるというのも、スリム化には効果的と思います。(Facebookのように直接の知人・友人であれば近況を知るということの価値は大きいのですが、Twitter上の見ず知らずの人がどこで何をしてるかを知ることにはあまり意味を感じないので。)
1日を生産モードでスタートすることで生産にフォーカスした気持ちを作り、情報入手のスリム化する。さっそく行動に移してみます。

 新型iPadが、というよりも日本語による音声認識が開く未来が楽しみ

新型iPadが発表され、同時にiOS5.1が発表・リリースされました。それによって、iPhone4Sと新型iPadでは日本語による音声認識入力が可能になり、人工知能Siriの機能も日本語化されました(iPadには一部機能の搭載のみ)。
さっそくネット上ではSiriに日本語でいろいろと話しかけて遊んでいる人がたくさんいるし、僕も少し遊んではみたのだけれど、Siriの知能は残念ながらまだ発展途上で、とても「アシスタント」というレベルではないというのが正直なところ。アラームやリマインダーをセットするくらいはスムーズだけれど、双方向の対話形式で情報を入手したり加工するにはまだまだ。これからの学習と進化に期待したい。
それはさておき、今回のリリースで何より素晴らしいと感じたのは、日本語をかなり正確に聞き取ってテキスト化する能力がiOSデバイスに備わったこと。ビジネスシーンでもiPadを使うことは今後どんどん増えてくるだろうけれど、ネックになっていたのは文字入力の煩雑さ。それを今回の日本語音声認識は大幅に、あるいは完全に補ってしまうかもしれない。
営業が外出先やクルマの運転中にメールに返信したり、顧客データベースにコンタクト履歴を残す。あるいは、手が塞がっていたり汚れていたりする工場の現場で、社内の情報共有データベースに情報を入力する、など。これまではキーボードがないとできなかった作業が、特にストレスなく実現できる。
また、キーボードやIT機器そのものにアレルギーがあって触らなかった人たち、タッチタイピングがあまりにも遅くて二の足を踏んでいた人たちを、テキスト入力の世界に押し出す力がある点も大きい。組織の中でITを使った情報共有に不熱心な人たちの第一の理由は、そうしたIT機器へのアレルギーと、タイピングに対するコンプレックスだったりするものなので、そうしたネガティブ感情を払拭してくれる効果が期待できる点はとても楽しみ。
日本語版Siriの能力についてはこの記事が詳しかったので、紹介しておきます。

日本語対応した「Siri」でオトナの限界に挑む!

心理学者 強制収容所を体験する

フランクルの「夜と霧」の原題は、「心理学者 強制収容所を体験する」というのだそうです。暗くしんみりとしたイメージの前者と比べて、原題の方は冷静な響きを持っていますね。よく思うのですが、海外の作品(本にしろ映画にしろ音楽にしろ)のタイトルを日本語らしく翻訳した結果として意図せざるイメージを受取り手の心に惹起しまっているケースがあります。なんというか、勿体無い。

夜と霧 新版

夜と霧 新版

受験知識としてこの本のタイトルだけは知ってましたが、上記のとおりの暗いイメージに心が惹かれず、これまで手にとることのなかった本です。が、実際のところ中身の記述・筆致はいたって冷静なもので、原題のとおりあくまでも心理学者として経験したナチスドイツの強制収容所とそこに収容された人々について綴られています。
幸福とは正反対といっていい極限状態の中で、人間が生きるということについて生々しい記述が多くされていて示唆に富む一冊ですが、今の自分が引き込まれた一文はこんなものでした。

自分を待っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するのかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。

精神科医である著者が、絶望のために打ちひしがれ自殺を考える人々を前にして、異国で帰りを待つ子どもたちや完成されることを待っているしごと 仕事のことを思い起こして生き抜こうと話を
する場面です。

 慣れによる安定感と停滞の危険な罠について

今シーズン限りで中日ドラゴンズの監督を退いた落合氏の本をシーズン終了直後に読みました。その中で興味深かったのが、ともに守備の名手と言われた荒木・井端の2人の守備位置を監督命令で入れ替えたことに対する同氏の考え。すでに「名手」の域に達していた2人を、セカンドの荒木をショートに、ショートの井端をセカンドに。似ているように見えるこの二つのポジションは、動き方が真逆になるため切り替えはとても難しいとされているそうです。変更直後は当の2人も大いに戸惑い、不満を持つシーンもあったとか。
そんな選手の士気を損ないかねない状況での意思決定の背景にあったのは、

慣れていることによる安定感をとるか、慣れによる停滞を回避するか。

という選択。
結果として、

荒木は遊撃手(ショート)を経験することで、二塁手に戻っても遥かに優れたプレーをするはず。転換を経験したことで、荒木の守備は「上手い」から「凄い」に進化している。

という成果を得られたといいます。
僕個人としては、以前から企業における配置転換に疑問を持っていました。ある部署で経験を蓄積しているメンバーを別の部署に異動させることは、彼・彼女の蓄積したノウハウを他部署に伝播させるというメリットはあるものの、本人の士気が下がる危険、短期的に大きく組織の能力が低下する危険、さらには組織としての「知恵の蓄積」が断絶してしまう危険とも隣り合わせ。現状に不満を持っているメンバーが対象ならいざ知らず、脂の乗った活躍中のメンバーに対しては、異動は控えるべきでは?という思いがあります。
一方で、自分自身の経験を振り返ってみれば、いくつかの業界・仕事内容を大きくまたいだ転職を経験したことで、自分の視座・考え方、そしてスキルが大きく成長し幅広いものになったという実感がある。幸い僕の場合は誰かに強いられてキャリアパスを変えるということはなかったけれど、それが自分の意思であれ他人の意思であれ、こうしたパスの変更が成長につながることはどうやら間違いなさそう。
思えば、これは友人関係などの人間関係にも当てはまります。長年親しんだ友人とだけ付き合っていれば、お互いかって知ったる者同士だけに安定感があり、少々のことでは嫌われないという安心感があるからリラックスして付き合いができる。新しい環境に飛び込んで新しい友人関係や人間関係を作ろうとすれば、成長につながる刺激を受け取る見返りとして、「相手からどう思われるか?」といった不安に苛まれたり、劣等感を味わったりといった危険もつきまとう。
慣れによる安定と慣れによる停滞。この二つをバランスさせることが鍵になる、というのは簡単だけれど、実際のところをそれをどのレベルで行えばいいのか?を事前に納得いく形で判断するのは難しい。時には落合監督のように、「責任は自分がとるしかない」と腹をくくって、大きく不安定な賭けに出ることで新しいきっかけをつかむことがあるかも。
僕が自分自身に言い聞かせるのは、「慣れてきたな」とか「だいたいこういう感じでやれば大丈夫だろう」という「上級者の勘」みたいなものが働くようになったら、そろそろ腰を上げて新しい挑戦を始める時期だよということ。それは必ずしも仕事を変えるということではなく、新しい分野の勉強をする、新しい人的ネットワークを作る、といったことも含めて。

采配

采配

 読書メモについて 3.活用のしかた

前回までに書いたような形でEvernoteに保存した読書メモ(Evernote上で言えば「ノート」)ですが、そのまま保存しているだけでは何の役にも立ちません。もちろん「こんなに本を読んだんだなー」という自己満足のネタにはなりますが、それでは本来の意味は全くない。
スクラップブック(新聞や雑誌の切り抜きを貼る冊子)にしても、この読書メモにしても、後から見返して何らかのアウトプット・知的生産に活用してこそ、蓄積する意味があるわけですよね。
以前から紹介している梅棹忠雄氏の「知的生産の技術」の中には、この読書メモと同じ機能を果たすものとして「カード」が出てきます。同氏は、フィールドワークに出たときや、あるいは日常生活、そして読書の中で「面白い」と思った事柄について、何でも規格化された同一のカードに書き記しています。そして同氏曰く、そのカードを「くる」ことにこそ意味があるのだと言います。つまり、蓄積したカードをパラパラとめくりながら、新しい着想を得たり、構想を膨らませたりするわけです。
ここで紹介してきた読書メモについても、梅棹氏がカードを「くる」ように、パラパラと見返してアウトプットにつなげていくことでその存在意義が最大化されると思います。では具体的にどうやるか。
前回までのプロセスで、読書から得られた果実は当初「メモカード」として蓄えられ、その後に自分の考えたことやアイデアを書き加えて「思考カード」へと進化していくことをお話しました。ここでは、その「思考カード」を2つのアプローチでくっていきます。
一つは、何らかのアウトプットのテーマを決めて、それに関連するカードを見返して行くこと。例えば仕事上で何かのレポートを作成するとか、資料を作るといった場面を想定してみてください。仮にマーケティング関連のアウトプットをするのであれば、「マーケティング」タグや「戦略」タグ、はたまた「ソーシャルメディア」タグといった関連しそうなタグでノートを抽出し、それらを一つずつ見返して行きます。これまでに自分のアンテナに引っかかって来た事柄を再確認し、付加価値の高いアウトプットにつなげていく。
二つめは、テーマは決めず、ただ一定の時間を定めて、まさしくパラパラ見るというやり方。この時は「思考カード」タグだけで抽出します。当然かなりの数のノートが引っかかってきますが、これをざーっと見て行く。すでに中身を忘れていて、タイトルを見てもこれなんだっけ?と思うようなものは、中身を再読して確認する。すると、異なるテーマだと思っていたノート同士に面白いつながりが見えて来たり、それらを組み合わせるkとで新しいアイデアが生成できたりする。それを、さらに新しいノートにまとめていく訳です。
これら二つのアプローチを適宜組み合わせて活用すると、これまでの自分の知的蓄積をレビューしながら新しい価値あるアウトプットをしていくことができるのではないか、と思っています。