クオンタム・ファミリーズ読了

先日少しご紹介した東浩紀「クオンタム・ファミリーズ」を読了しました。いくつか心に残った表現を抜粋します。

ぼくは考えた。ひとの生は、なしとげたこと、これからなしとげられるであろうことだけではなく、決してなしとげられなかったが、しかしなしとげられる<かもしれなかった>ことにも満たされている。生きるとは、なしとげられるはずのことの一部をなしとげたことに変え、残りをすべてなしとげられる<かもsれなかった>ことに押し込める、そんな作業の連続だ。ある職業を選べば別の職業は選べないし、あるひとと結婚すれば別のひととは結婚できない。直接法過去と直接法未来の総和は確実に減少し、仮定法過去の総和がその分増えていく。(P28)

ゲームのプレイヤーは、それがゲームであることを忘れたときにもっとも強くなれる。(P95)

「そうさ。だからいま暴力に意味があるとすれば、それは現実を変えるからじゃない。暴力の意味は、言葉にはまだ力があると人々に錯覚させる、その一瞬のスペクタクルのなかにしか存在しない。言葉には力がない。意味すらない。しかし、特定の言葉で暴力が生み出され、ひとがばたばたと死ぬとすれば、そのあいだは関心をもたざるをえないだろう?二一世紀の言葉は、もはやそのようにして生き残るしかない。思想や文学はテロに寄生して生き残るしかない。ぼくたちの時代においては、テロこそが最良の、そして唯一の啓蒙手段なんだよ。」(P181)

Kazuteru Kodera