「レベル上げ」とグローバルコンペティション

オンラインゲーム、僕がすっかり大人になってから普及したこの遊びについて、僕体験したことがありません。膨大な時間をゲームに投資するわけにはいかないという一種の投資銘柄選定の考えからです。一日24時間という有限な「元手」をどう投資するかというポートフォリオに、オンラインゲームというのはちょっと過大な負荷を与えるものだから。
とはいえ、こんな記事を読むと、世の中にはそうした「時間投資」を「リアルマネー投資」で代替してしまう人がかなりたくさんいらっしゃるようで、そうした投資の受け皿を果たす企業がずいぶんと繁盛をしている様子。

ゲームの「レベル上げ」を外注--オンラインゲーム業界のすき間ビジネスが大盛況 - CNET Japan
世の中には、忙しい人とそうでもない人がいるわけで、その両者がグローバルに繋がって時間とお金の交換を大々的にやっているという構図ですね。需要と供給、あぁ自由経済は素晴らしい、と。
ここでふと感じたこと。人が「お金を払ってでも・・・」と思うような欲求の対象というのは実に多彩なんだ、ということ。上の例では、「お金を払ってでも、レベルの上がった強いキャラクターでゲームを楽しみたい」という欲求。きっとその欲求の強さの度合いは人それぞれで、それぞれ払ってもいいと思う金額は異なるのでしょう。そこに市場が成立し、価格システムによる調整が行われている。
そしてもう一つ、そうした多彩な欲求と金銭との交換を成立させる仕組みとして、ネットが非常に強力なツールになるということ。
以前であれば、暇な学生が「あのさ、何だったらそのゲームのレベル上げ、やってやろうか?1.000円でいいよ。どうせヒマだし。」なんて形で小ぢんまりと展開されていた欲求&金銭の交換が、ネットというステージを得たことでグローバル化するわけです。
極端な例を挙げれば、シベリアの永久凍土の中に立つ小屋に住んでいて吹雪のときは全く外に出られなくて物凄くヒマなマトリョーシカさんが、日本の多忙なビジネスマンのためにレベル上げをする、なんてことも起こりうる。そこでは、ロシアと日本の貨幣価値の差だとか平均賃金の差だとかは考慮されず、あくまでも公平に賃金が支払われる。
驚くべきことにここでは、労働者の居住国やその国の賃金水準とは無関係に報酬が支払われる仕組みが成立します。それはつまり、日本に住んでいようがザンビアに住んでいようが、賃金については「フェア」ですよ、ということ。
私達日本人にとってこれほど恐ろしいことはありません。特に単純な労働(ゲームのレベル上げ、のような)の場合、賃金水準が日本の10分の1の国に住んでいる人々とも仕事の取り合いをしなければならないのです。そこで発生するのは、グローバルな個人間での競争、グローバルコンペティションです。
あぁ、くわばらくわばら。もはや国境は、私達に高い賃金をもたらすべく守ってくれたりはしないのです。ことネットの世界においては。