ウェブの歩みと僕らの生きる世界の変化

ここ2週間くらいで、ウェブに関する新書をまとめて読んでいます。きっかけはいつもと同じく、会社の帰りに立ち寄った本屋で。以前ここでご紹介した梅田望夫さんの「ウェブ進化論」、あの本を読んだときの衝撃というか、唸らされるような感覚というのがずっと心の中に引っかかっていて、それをもう少し自分なりに整理したいという気持ちがあったのでしょう。
日々の仕事で実に「リアル」(ネットの「あちら側」と「こちら側」の対比で言った場合の「こちら側」な世界に暮らしているだけに、継続的に「あちら側」について情報を入れておかないと、あっという間に化石化してしまうという恐怖心もありました。購入したのは以下の通り。発行時期にバラつきもあり、その時々でネットの世界で起こっていることは変化しているので、「ネットの歴史」を辿るような気分で読むことができる点も興味深かったです。

ウェブ人間論 (新潮新書)

ウェブ人間論 (新潮新書)

次世代ウェブ  グーグルの次のモデル (光文社新書)

次世代ウェブ グーグルの次のモデル (光文社新書)

グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する  文春新書 (501)

グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する 文春新書 (501)

このうち、佐々木氏の書いた3冊はまさに「ネット世界の取材記録」といった形。ジャーナリストである著者が、人間社会との関わりという観点からネット世界の出来事に切り込んでいく。ルポタージュを読むような感覚で、とても現実的な肌触りを感じさせながらネットの世界に迫ってくれている本でした。
梅田望夫さんと平野啓一郎さんという二人の異色な組み合わせ(この本はまだ読み始めたばかりですが)もまた、ネットと人間、ネットに生きる人間というテーマが扱われています。
こう見てくると、現代がまさしく変化の時代の真っ只中(よく経営者が安易にこうした言い方で社員を鼓舞するのを聞きますね)にあることがわかります。それは、これまでの人間の生きてきた世界と、これからの人間が生きていく世界との間に、根本的な部分で断絶があるというか、大きな裂け目があるということ。そして、その断絶はネットという存在によってもたらされているということ。
中世ヨーロッパに住んでいた人間が一生の間に手にする情報の量というのは、現代のニューヨークタイムズ一日分の記事にしか相当しなかった、という話を読んだことがあります。それがやがて印刷技術の発達や産業革命による交通の飛躍的な進歩などによって、人の手に触れる情報の量というのは増えていった。
ネットの進化というのはそうした情報量の増加に革命的な一撃を加えるのと同時に、やがてウェブ2.0的世界を到来させることで、人間と情報・人間と人間・人間と社会の関わりそのものに対しても巨大な変化を迫りつつあります。いえ、すでに変化を迫られ、それに対応できなかったことで数え切れない企業が死滅していることからも、「変化はもう始まっているんだ」と言えるでしょう。
自分の生きる世界が、父母の生きた世界とは全く別のものになっている。こういう感覚を味わうのは、恐らく人類史上で私達の世代が最初ではないでしょうか。ゆっくりと変化し環境に適応してきた人間。その精神と社会性に、急速な進路変更が起こりつつあるという気がします。「ヨーソロー」というわけにはどうやらいかないようなのです。「急速転舵!」という掛け声が、どこかから聞こえてきている気がするのです。
引き続き、このテーマについてはウォッチしていきたいと思います。死滅しないために。無事に断絶を越え、谷の向こう側に渡れるように。
追記:「ウェブ人間論」の書評を、羽生善治さんが書いています。これから起こる変化は、これまでに起こった変化とは違う、という感覚は共通のものですね。
http://www.shinchosha.co.jp/wadainohon/610193/review.html