「好き嫌い」と経営

とてもタイムリーに良い書籍に出会いました。楠木健氏の「好き嫌いと経営」。14人の経営者(いずれもトップクラスに有名な方々)に、その好き嫌いについてだけを聞いていくというインタビュー・対談形式の書籍。テーマは対談の中でビジネスから食べ物、趣味など幅広く展開されていき、どなたも個性的な面々なので、彼らが本音のところで何を「好き」と感じ何を「嫌い」と感じるのかというのは読み物としてとても面白い。また、彼らの経営スタイルや意思決定の背後に間違いなくその「好き嫌い」が息づいていることを感じさせてくれる点も「なるほど」と感じさせてくれる本でした。

 

「好き嫌い」と経営

「好き嫌い」と経営

 

 

 
 
著者が「好き嫌い」と対比させる形で使っているのが「良い悪い」という言葉。感情を抜きにして、「これは良いことだ」という場合、そこにある判断の根拠は論理。論理には多少のバリエーションこそあれ、特にビジネス上のテーマになると誰が考えても似たような結論になる。同一の市場に身を置き、似通った情報を入手して戦略を考えているような場合、良い悪いだけではプレイヤーはみな似たような結論に到達してしまい他社との差別化ができなくなる、というわけです。
 
それでも、世の中には際立った差別性をもった企業が存在しているわけで、論理に立脚した意思決定というだけでは説明ができない。そこに立ち至る過程の意思決定には、良い悪いではない経営者の「好き嫌い」があるはずだ、というのが著者がインタビュー活動を始めた理由です。
 
経営者が好き嫌いで意思決定しているなどと聞くと何だか眉を潜めたくなりますが、実際のところ経営者も人間。好きな方向に事業が向かっている時の方がやる気も出るし活動的にもなれる。AとBという意思決定のオプションがあった時に、論理をある程度積み上げた上で最終的には好き嫌いを軸に判断をするというのが、その後の実行力という点でも有効なのではないか、というのが僕の実感でもあったので、大いに納得した次第です。
 
一度、虚心坦懐に自分の好き嫌いについて棚卸しをするのが、いいかもしれませんね。
 
 

パタヤに住むってどんな感じ?

昨年の3月から、一ヶ月のうち3週間程度はタイ チョンブリ県に位置するパタヤという街に住んでいます。チョンブリ県というのは、バンコク、ナコンラチャシマに次ぐ3番目の人口を持つ県で、チョンブリ・シーラチャー・パタヤが主要な街となっています。
なぜパタヤになったのか、理由は簡単で、会社から通勤時間1時間以内で、外国人向けのアパートが妥当な家賃で確保できる場所がここしかなかった。日本人はバンコクおよびシーラチャーに集中的に住んでいるのですが、バンコクは通勤2時間超、シーラチャーは日本人が集中し過ぎて家賃が高騰。住みたくても住めませんでした。

日本ではあまり耳にすることのないパタヤ。名前を聞いたことのある人の間では「ビーチリゾート」というイメージが定着しているようです。一方、タイに住む日本人の方(特に男性)とお話している時にパタヤに住んでいるという話をすると、「いいですね、遊び放題ですね!」とか、「え、あんなところに住んでて仕事できるんですか?」と驚かれるケースが多い。
もともとがベトナム戦争時の米軍の保養地として発達した街ということで、昼はビーチリゾート、夜は歓楽街という二つの顔を持っているのです。それがタイ在住日本人の間にも一般的に知られており、上記のような驚きにつながっています。
事実、平日の昼間でも街中では海を見ながらビールを飲んでいる欧米からの観光客や当地でリタイヤメントライフを送っている欧米人の姿を多数見かけます。夜ともなれば、市内南側に位置する歓楽街ウォーキングストリートには、たくさんのネオンサインが満ち溢れます。

僕自身は市内でも比較的静かな北側に住んでいますが、それでも目の前のビーチにはたくさんのスピードボードが係留されて観光客をマリンスポーツに勧誘していたり、海沿いの道にはオープンテラスのレストランが並び、昼間から賑わっていて、リゾート気分がいっぱいです。

個人的に、こうした少しリゾート要素のあるエリアに住むというのは気に入っています。目の前は海で豊かな風が吹きますから、少し散歩するだけでとてもいい気分転換になりますし、欧米人向けに洗練されたシーフードやステーキ、ハンバーガー、ソーセージといった料理を楽しむことができます。もちろん大都市ではないので、デパートなどがたくさんあるわけではありません。でも、買い物にそれほど需要のない僕にはあまり影響がありません。

週末にリゾート気分でリフレッシュでき、美味しい食事が楽しめる。それで十分だと思います。写真は、シーフードのチャウダースープ、そしてハンバーガー。



f:id:kz1979:20140720114627j:plainf:id:kz1979:20140720115255j:plain


成長速度と「備えあれば憂いなし」

あっという間に一週間が過ぎました。僕は週間計画という名前でその週にやることをリストアップして終わったら消していくのですが、何とか今週も少し週末の時間を使えばリストをクリアにできそうです。
事業の成長速度について今回は書きたいと思います。とにかく課題の尽きないタイの事業ですが、今週は特にその「成長速度」というものについて考えさせられました。

一般的に、企業は成長すればするほど良いとされていますし、僕自身も「事業成長なくしては個人の成長もなく、企業は成長しなくてはならない」という信念を持っています。問題は、その速度です。ベンチャー企業の経営を扱った論文などにおいても重要トピックとされているテーマなので、多くの生まれたばかりの企業が直面する課題として、特に重要視されているものなのだと思います。

現在の状況を一言で言えば、「事業の(営業的な)成長が速すぎて、組織が追っつかず、前のめりにぶっ倒れて転びそうだ」ということです。売上ゼロから一気に駆け上がっている状況なので、成長率=無限大。ある程度の軋みは出るだろうと予期していましたが、いやはや大変です。
当社は製造業で、また海外進出による事業スタートですから、ある程度のハードウェアは装備してきています。工場・設備・業務システムなど。その点、ガレージから創業するようなベンチャー企業とは全く条件が違います。恵まれている、と言うこともできるでしょう。
とはいえ、どれほどハードウェアが揃っていても、それをオペレートするのは人間です。それも、入社して3ヶ月前後の素人集団。さらに、そのメンバーの大半とは言葉が通じません(一部の英語・日本語を話すスタッフを除く)。駐在スタッフによるトレーニングも、コミュニケーションの効率が悪くなかなか効果が出てきません。
一方、営業的には大々的に「日本・中国・タイをシームレスにつなぐ生産活動」というコンセプトを売り込んでいますから、顧客からの期待値はとても高い。ハイレベルな要求がどんどん舞い込んできます。ガレージで創業したベンチャーとは違った面で、苦しいアンバランスが生まれてしまうのです。

備えあれば憂いなし、といいます。この状況を見越してもっと早期に人員を増強し、日本の工場に研修派遣して準備していたら、今の状況は避けられたかもしれません。あるいは、トレーニングの効率を上げるため、言葉のわかる人間だけを選別して採用していたら? タイでの工場運営経験のある人材を現地採用していたら? いくつもの「取り得たオプション」を思いつくことはできます。

なぜそれができなかったか? 一言でで言えば、「売上ゼロ、という先行き不透明の状況で、意思決定することができなかった」ということです。事業の未来に対する信念が欠けていた、と言えるかもしれません。それだけのコストをかける、先行投資をするという判断が、僕にはできなかったのです。
ソフトバンク孫正義氏は、身の丈に合わないと言われながらも天文学的な金額の借入をしてまで先行投資を続けてきました。それができるのは、「デジタル情報革命を推し進めれば、豆腐屋のように利益を一丁(一兆)、二丁(二兆)と数えられる事業になる」という確信があるからです。だからこそ、超高速な事業成長にもきっちりと備えをして臨むことができた。彼には、憂いは欠片もなかったでしょう。

高速運転を制御できないドライバーは、ブレーキを踏んで安心できるエリアまでスピードを下げなければ命を落とします。未来を見通せない事業では、成長スピードが遅くなるのですね。悔しいです。














ビジョンは国境を越えているか

前回の記事で、立ち上げ期を抜け出しつつある組織、つまり僕の所属するタイの子会社2社、の統合理念の喪失に対する危機感について書きました。ここでは統合理念といっていますが、実際のところよく使われる言い方にすると、ビジョンということになります。我々はいったいどんな未来に向かっているのか、そこに至る道筋にはどんなストーリーがあるのか。組織が一つの方向に向かっていくには、ビジョンとストーリーがメンバーの理解と共感を得ていることが大切です。

ところで、僕がここタイの事業に臨む際に抱えてきたビジョンは、「スモール・グローバルカンパニーになる」というものです。見まごうことなき中小企業、スモールカンパニーである当社を、すでに事業活動を行っている中国にとどまらず、タイ、さらに米州も視野に、小さいながらもスピードと実行力で大企業を打ち負かすグローバルカンパニーにしたい。大まかにいうとそんなビジョンとストーリーを持ってやってきたわけです。

そこで直面した立ち上げ期の興奮状態からの脱却。統合理念としてのビジョンを、メンバーにしっかりと語り、ストーリーを共有して前に進んでいくべき時期にきています。ところが、どうも上記のビジョンでは具合が悪いような気がするのです。タイで一緒に仕事をしているタイ人スタッフを理解すればするほど、彼らはこのビジョンに共感も興奮もしないんじゃないか?という直感が湧いてくるのです。

理由は、グローバルという言葉にあります。「グローバル企業になりたい、いいじゃないか」と思ったりもするのですが、当社はタイというローカル市場を事業領域として、ローカル市場で勝つためにやってきている。ローカルの積み重ねがグローバルではあるのですが、タイで当社に参加したメンバーにとっては、タイは「母国」なんですね。
日本本社から派遣されたメンバーや本社のメンバーは、タイでの子会社の設立と成長を見て、「いよいようちもグローバルになったなあ」と慨嘆することもあるのですが、それは日本に視点を置いているから思うこと。タイで新たに参画したメンバーにとっては「?」なのです。

僕が抱えてきたビジョンは、飛行機に乗って僕と一緒にタイにやってきたわけですが、結局のところ、どうも「国境を越えていない」ビジョンになっているようなのです。グローバルといういかにも国境を意識しない言葉が込められていながら、何とも皮肉なものです。

ドメスティックな中小企業からの脱却、という自社に対するある種のオブセッションから発生した、「小さくてもグローバルになってやるんだ」という気概は、国境を越えて人々を統合するにはいささか独りよがりだということかもしれません。

「立ち上げ」の興奮とその後の罠

タイにおける子会社2社の「立ち上げ」という仕事をスタートして約2年(日本における準備活動も含めて)が経ちました。ちょうど2年前の今ごろ、海外における新拠点の候補としてタイという場所が挙がり、さて検討してみようかという動きが始まったわけです。

実際にタイに拠点を置いてから1年と3ヶ月。ようやく工場における生産活動は本格化し、毎月の売上とコストを数値として追いかけられる環境になりました。これまでは売上ゼロだったわけですから、⚪︎⚪︎率を計算しようにも、分母がゼロで計算できないという有様。そう思えば、ずいぶんと立派になったものです。もちろん、まだ赤字経営で、とても経営とは言えない状況ですが。

そんな中で、僕がいま直面しているのは「立ち上げという興奮から抜け出した後の罠」ともいうべき状況です。
何かにつけて、「ゼロから始める」「スタートを切る」というのは大変なもので、当事者の精神状態もある種の興奮状態に置かれることが多い。それは第一号のメンバーとして乗り込んだ僕だけに限らず、タイ人スタッフ、駐在員も皆、程度の違いこそあれ似たような興奮状態に置かれます。
机も椅子もなかったところにオフィスらしき形が整い、スタッフが増え、機械が搬入されて、物質的な会社の形ができてくる。やがて機械がうなりを上げて動き始め、何やら製品のようなものが出来てくる。待ちに待った顧客からの初オーダーがやってくる。どの一つ一つも、みな記念日であり、喜びです。そこには、ミッションやビジョンといった高尚なものは必要なく、ただただ毎日何か新しい成長があり、進化がある。もちろん問題も山積みなのだけれど、それは「やらなくてはいけない宿題」というよりは、コース料理でどんどん次の料理が運ばれてくるのを待つような感覚に近い。

ところが、やがてそうした興奮状態から抜け出す日がやってきます。受注は日常化し、毎日同じような姿形をしたオフィスに出社して、どこかで見たことのある問題を解決することの繰り返し。立ち上げに邁進していた時に見えていた景色はいつしか彩りを失って行き、ふと立ち止まると「何のために?」という疑問が頭をもたげてくるのです。「事業立ち上げのために」という統合理念によって一つにまとまっていた組織が、その興奮状態から覚め、新しいステージに入っていく瞬間です。

「立ち上げるために」という統合理念の推進力を失った組織は、次第に弛緩してきます。ゼロスタートの頃の景色を見たことのないメンバーが増えてきて、現在の姿が当たり前だといった発言や、不足するリソースに対する不満の声が散見されるようになる。当然ながら、内部対立も表面化してきます。目的地なく漂流する船のように、どことない違和感が饐えたような匂いを放ち始めるのです。

幸い、まだ僕の眼前に広がる光景からは、そうした悪臭はそれほど感じられはしません。ただ、それも時間の問題だと感じています。今は、日本人・中国人・タイ人という事なるバックグラウンドを持つ人々を束ねる一つの統合理念をどう生み出して伝えて行くかを考えています。

 

 

 

 

 

 

1年半ぶりのブログ投稿

1年半ぶりのブログ投稿です。合計700回近く更新されているこのブログでも、過去に何度か1年以上の空白期間が生じたことがあるのですが、中断の理由は「特になし」というものばかり。体調を崩したとか、仕事がめちゃくちゃ忙しくなったとか、そういったエポックメイキングな出来事なく、ふうっとロウソクの火が消えるように、中断されてしまう。不思議なものです。

ひとつ言えることは、こうした形で何かをアウトプットする、したいという気持ちになったことは何はともあれ良い事だということ。以前にここで何度か書いた通り、アウトプットなくして良質のインプットなし、なのですから。どうして継続できないんだ!!バカバカバカ!と自分を責めて反省を迫るより、「まあ、結果オーライでしょ」と再スタートをさっぱりした気持ちで切る方が、僕には性にあっている気がするのです。

さて、この1年半の空白期間で、僕の生活は大きく変わりました。名古屋から生活の拠点がタイ王国に移り、1ヶ月の半分以上をタイで過ごす、日本の家族の元には「出張」という形で月のうち1週間ほど帰るというパターンが定着しています。事業会社2社の立ち上げとその経営のため、というのがタイ滞在の目的で、自分の仕事に投じる時間の90%まではタイの事業に振り向けられています。

Bond大学でのMBAコースを終えて、「Global Leadership MBA」なんていう学位を取ったのはいいけれど、それを実践の場で鍛え上げ磨き上げる機会がなければ、とぼんやり考えていたところに降ってわいた自社の海外拠点新設。すいすいと流れに沿って泳いでいたら、気がついたらタイの地でビジネスをしていたということで、これは本当に運命というか、何か不思議な縁を感じてしまいます。

そして、泳ぎ着いた先でのタイでのビジネス経験というのは、これはまた本当にかけがえのないものです。まだ本当の勝負は始まっていない、スポーツで言えば準備運動のようなステージにいるわけですが、それでも頭が毎日ぼんやりとするくらいの刺激と学びを与えてもらっています。

ここでは、これからそんな学びも交えて、またいろいろと書いて行きたいと思います。

7インチタブレットとともに過ごす早起き時間

 冬になると早起き活動を始めるという不思議な習性を持っています。誰しも寒い朝に布団から抜け出すにはエネルギーが要るもの。好き好んで冬場にだけ早起きなんてことをする人はいないのではないか?と思いますが、僕自身が早起き活動を始めるのはたいてい冬だったりします。そして、春が来るころにはいつもの生活に戻ってしまう。
 冬という季節そのものが好きということもあるし、何より冬の朝のキリっとした空気感と、徐々に明けていく空の雰囲気が何より気に入っています。今こうして文章を書きながら、振り返って窓の外に目を向けると、オレンジ色と薄いブルーとのグラデーションがとてもキレイで、何となく満たされた気持ちになって笑みがこぼれてくる。
 さて、そんな冬の早起きで生み出された時間を、最近はもっぱら読書に充てています。GoogleがリリースしたNexus7という7インチ型タブレットを手に入れてからというもの、電子書籍を読むということが以前よりもはるかに手軽に、そして苦痛なくできるようになりました。世間では7インチタブレットに対して賛否両論あるようですが、読書端末としては圧倒的に使い勝手がいいというのが僕の実感。何より、片手でホールドしていても全く疲れないという点。これは700gを超える重量を誇るiPadではありえないことで、ある程度まとまった時間を読書に使う人にとっては「持っていて疲れない」という点だけで軽くiPadを凌いでしまう。ハードカバーの書籍になるとiPadよりもさらに重いなんてことはざらにあり、読む場所を選ぶ(ソファに寝転がってとはいかず、テーブルのあるところでないと読めない)のですが、7インチタブレットであれば、どんな大著であっても手の中に納まってしまいます。
 電子書籍専用端末がどんどんと世に送り出されている昨今ですが、仕事も含めたトータルでの利便性を考慮すると、eインク画面の見やすさという点をはるかに凌駕する利点が、7インチタブレットにはあると考えざるを得ません。当面は、この端末を片手に時間を過ごすことが多くなりそうです。