移民政策のない日本にどうしてこんなに外国人が働いているのか

こちらの本を読みました。

 

ジャーナリストの著者が、日本のコンビニ店頭にどうしてこれほどまでに外国人の労働者の姿を見るようになったのか、という所をトリガーとして「日本における外国人の就労と彼らの生活」について調査をしたというのが本書。

確かに、日本の製造業・サービス業のあらゆる「現場」において外国人の姿を見ないことはありません。昨今の人手不足・人件費高騰のおり、企業にとっても外国人は貴重な労働力であり、一方の外国人におっても(短期的な現象かどうかは別として)ここのところ上昇著しい賃金相場の状況は、日本という国の「就業国」としての魅力をさらに高めるでしょう。

ただ一方で、本書で力点を置いて紹介されるのはそうした外国人労働者を取り巻くルールと現実の歪み、そして収入獲得のために日本を目指す外国人を「食い物」にしている現地および日本の各種企業・団体・学校の醜い姿。

留学にせよ技能実習にせよ、本来の目的とは異なる「出稼ぎ機会」をアピールして労働者予備軍を勧誘し、高額なアレンジメントフィーや日本語学校の授業料を巻き上げる悪質業者のやり口。それらは「国際交流」とか「途上国支援」といった理念を看板に据えているだけに一層そのグロテスクさを増し、海外で仕事をする私自身の思いと照らして何ともやりきれない気持ちにさせられます。(もちろん良質な業者もいる、という前提ですが。)

海外で生活をしてみて、やはり日本という国はそのインフラ、サービス、環境などいずれをとっても世界で有数の住み心地のいい場所だと思います。そこで仕事をしたいと思う外国人がたくさんいることは純粋に嬉しい。ただ、現行の制度はそうした外国人に歪んだインセンティブを提供する仕組みになっており、そこに群がる人々の悪しき動機を制御できていない。そうした現実を、日本に住む外国人や彼らに関連する企業・団体等への多くのインタビュー・調査を通じて浮き彫りにしているのが本書。日本に在住する外国人に対して「良い・悪い」の視点ではなく、現実を見るために必読の書。

 

007シリーズを原作で読む

 何を隠そう映画007シリーズのファンです。といってもロジャー・ムーアショーン・コネリーが演じていた「古き良き時代の007」ではなく、ダニエル・クレイグが演じる最新シリーズが好みです。ボンドガールやハイテクな道具が脚光を浴び、ジェームズ・ボンドの色男ぶりばかりが取り沙汰される娯楽映画としての前シリーズとは違い、ボンドが人間臭く描かれ一人の男性として素直に格好いいと思えるところが好きなのです。

この007シリーズには原作があるということを最近知りました。たまたま立ち寄った本屋で見つけてしまったのです。それ以来、立て続けに原作を読んでいます。2週間あまりですでに4冊目に突入。

何がいいのか? ジェームズ・ボンドが実に普通の人間として、(確かに優秀なスパイではありながらも)恐れ、戸惑い、誘惑に溺れ、騙されて、それでも何とかミッションを成し遂げていく。と同時に、生活習慣や食べ物・飲み物、衣類など、英国紳士としてのこだわりが随所に描かれ、冒険譚の中にも生きることを楽しみ、日々のスリル溢れる仕事の中にも遊びの要素を取り入れる。人間ジェームズ・ボンドの魅力がたまらない。

小説としても大ヒットを収めたシリーズだけに、ストーリーやボンド以外の登場人物の魅力も十分に楽しめます。言うまでもなく、ボンド・ガールと言われる主役女性が作品ごとに代わる代わる登場。その魅力も味わえます。

また、作品ごとに舞台となる国が多彩に登場し描写されるのも楽しさの一つ。トルコ、ジャマイカ、ロシア、もちろんイギリスも。紀行小説として読んでみてもいいかもしれません。一冊で何度も美味しい思いができてしまうとは、しばらく私も読み続けることになりそうです。

 

 

Kindle Fire HD 8 は買いか?

1週間前、日本を出てタイに向かう直前にKindle Fire HD8 を購入しました。Amazonタイムセールでなんと5,980円(プライム会員向け特別価格でも通常は8,980円)ということで、Apple製品以外のガジェットはここ数年購入していなかった私の禁を破るだけの破壊力ある提案。もうこれは怖いもの見たさというか、試してみたくなってしまいます。(iPad Proをヨメに譲って以来タブレットなし生活だったのですが、やはり色々と不便だった。。。)

Amazon独自のOS(Androidベース)ということで、アプリをGoogle Playから自由にダウンロードというわけにはいきませんから、その他のandroidタブレットと同列に比較はできません 。ここでは純粋に「道具としてのFire HD 8」について書いておきたいと思います。

Kindle Fire HD 8、一言で言えば「読書と動画鑑賞の最強ツール」。最強であるがゆえに、それ以外に使い道を求めてはいけません。メール?やめておきなさい、Gmailアプリすら使えないのだから。SNS?まあいいかもね、でもカメラはオマケ程度の性能だし、文字入力は端末サイズと日本語入力ソフトの貧弱さからストレスフルです。新聞?日経電子版アプリはそこそこ使えるけれど、動作はモッサリ。もしかしてAmazon以外のアプリは意図的に遅くしていませんか?

この通り、あえて用途を拡張できないことに潔ささえ感じます。

一方で、Kindle版の電子書籍においてはその「コンテンツ紹介→ストアで詳細確認→購入→ダウンロード→閲覧→関連書籍へのアクセス」までの一連の流れが完璧なまでにシームレス。端末購入から1週間で、すでに小説2冊、ビジネス書2冊、漫画10冊を購入して読んでしまいました。まさに、Amazonホイホイです。iOSではAmazonアプリからのコンテンツ購入が厳しく制限されているだけに、この操作性の高さは圧倒的に便利と感じます。

動画について。Amazonとしてはプライムビデオに誘導したいのでしょうが、Netflix愛用者の私としてはついそちらを観てしまいます。Netflixアプリは動作・操作性いずれもiOS版と遜色なく、違和感なく利用できます。ちゃんとダウンロードもできます。スピーカーもiPad Proほどではないにせよ問題なく視聴できるレベルですし、愛用のApple Air PodsもペアリングOK。言う事はありません。

アウトプットは主にPCでやっていて、タブレットにPC代替となる多様な機能を求めない人。ベッド脇や外出先での読書や動画鑑賞に安価で高品質なタブレットがほしい人にはうってつけ。タイムセールが次回いつ開催されるかはわかりませんが、この価格なら落として画面が割れても心が折れる事はありません。

 Amazonのコンテンツ販売戦略にどっぷり浸かり、Amazonホイホイの中でもがきたい人はぜひお試しあれ。(何だか提灯記事みたいになってしまった。)

 

 

Fire HD 8 タブレット (8インチHDディスプレイ) 16GB

Fire HD 8 タブレット (8インチHDディスプレイ) 16GB

 

 

 

 

 

 

組織がプロ化するということ

タイで会社を設立して2年、本格的に事業活動をスタートして1年ほどが経過しました。まだまだ利益を出せる状態にはなっていないものの、お客様から定期的に注文をいただき、新規の取引に向けたさまざまな取り組みが行われ、ようやく「会社らしい」姿になってきたという実感を持っています。

そんな中、創業から2年の悪戦苦闘を支えてくれた第1号の現地スタッフが会社を去るという、寂しい出来事に見舞われました。家族をとても大切にするタイの人々。彼女もまた、地元に残してきた病身の祖母を介護するため、地元に帰るという決断をしたのでした。「この会社は私にとって家族のようなもの」と涙しながら退職の意向を告げた彼女に、僕は「いつでも戻って来ればいい」と声をかけました。
会社の草創期というのはどこも似たようなものだと思いますが、1人のスタッフが2役どころか5役も6役も果たしているもの。実際のところ、退職する彼女の日々の仕事は僕に言わせれば「ジャグリング」状態で、複数部門の管理職を兼務してスタッフをマネジメントしながら、自身も経理や人事など信頼できる人材にしか任せられない仕事を一手に引き受けてくれていました。

そんな優れた「ジャグラー」が会社を去るということは、一体何を意味するのか’? 混乱? そうでしょう。私と一緒にタイで仕事をしている日本人駐在員の一人は、その後の混乱を思い、「彼女の家族の面倒を会社で、いや、私が見ますから何とか引き止めてください」と僕に詰め寄ったのでした。(お酒に酔った上での発言ですが・・・)。
ただ、僕は随分と違った見方をしていました。混乱はもちろんあるでしょうが、その上での「成長と発展」が組織にもたらされる可能性の方が大きいと感じていたからです。生来の楽天家であることもありますが、やはり「事業の成長ステージに合わせて、それを支える人材は変化していく」という摂理を意識していたからです。もちろん彼女がチームからいなくなることはこの上もなく寂しい。ゼロから二人三脚で会社の形を作ってきたある意味でのパートナーでしたから、その感情は人一倍ありました。でもそれと同時に、新しいメンバーが作り出していくであろう新しいチームとその仕事に、ワクワクするものを感じていました。

その後の話をしましょう。結果的に、「ジャグラー」として彼女が切り盛りしていた仕事は、3名の専門的業務経験を有する新規採用のスタッフに引き継がれました。採用面接には彼女にも出席してもらい、会社ののカルチャーや外国人である我々と一緒に仕事をする上での適性などをアドバイスしてもらいながら。。。一人でやっていた仕事を3人に引き継ぐ!?と驚かれる向きも多いかと思いますが、すでに事業の規模も拡大しており、それぞれの分野に専任のスタッフを置くに十分な業務量があった上、仕組みや質の向上という意味でも、それぞれの業務分野が専門家を必要としてたのです。

新任スタッフが業務を引き継いで1か月あまりが経過し、彼ら(全員が女性なので彼女ら)は各々の持ち場でその持ち味を発揮しつつあります。これまでの経験をもとに、会社の仕組みをアップグレードする提案を出し、次々と仕事のフローをバージョンアップしているのです。しかし、彼女らにとってみれば、何もすごいことをやっているわけではありません。経験と知識にもとづいて、「会社を当たり前のあるべき姿にする」という作業を行っているのです。こうして、組織は専門家を迎え入れ、「プロ化」していくプロセスを歩んでいく。事業の成長と進化にとっては、これは欠くことのできない歩みです。

もし第1号社員であり優秀なジャグラーであった彼女が会社を去ることなく、新規採用もなかったら? その問いはやめておきましょう。チームの貴重な一員を失ったのはやはり痛手ですし、できることなら一緒に仕事をしていたかった。その気持ちに嘘はありません。
ただ、その感情だけに囚われていては、組織の変化と成長は難しくなる。両立ができれば一番なのですが、それは叶わぬ願いというものでしょう。
















そもそも何のため? という質問の大切さ

社会人になって最初に就職した会社(銀行)には、当時の僕には存在理由のわからない数多くの書類や伝票、そしてそれらを扱う方法を定めたルールが存在していました。「事務マニュアル (正確な名前は忘れてしまいましたが・・・)」という電話帳くらいの厚さのブックレットが支店には保管されていて、わからないことがあるとそれを調べます。それでも、細かな事務のルールはしょっちゅう変わっていて、そのたびに「通達」と呼ばれる電子回覧板みたいなものが配布されて、ルールの追加や変更が行われます。どうしても曖昧な個所が出てくると、同じくルールの定義に当惑している上司の指示で「事務統括部」というルールを決める部署に何度も電話して問い合わせをした記憶が残っています。そして、処理後の伝票・書類に赤ペンで「事務統括部●●様に確認済み」というコメントを加えるのです。これで、後で処理方法の間違いを咎められても言い訳ができ無罪放免。何ともサラリーマン的ですが、これは当時けっこう多用しました。

当時は、そうしたルールがいかにも無駄で意味不明で、「事務」という名詞を聞いただけで吐き気が出るような気分になりました。その後に転職した先の商社にはルールはほとんど存在せず、自分の判断で業務を処理できる環境だったので、あまりの自由さと事務の少なさに逆に驚いてしまったくらいです。

会社が業務オペレーションをしていく上では、効率や処理の正確性を最適なものにするために「標準的な処理方法」が定義されルール化されることになります。1人や2人でやっているうちはルールも何もありませんが、一定以上の規模になれば、一つの最も適した方法をルール化し、みんながそれに沿って処理を進めるのが効率的です。そうしたルールを書き込んだ書面が「マニュアル」と呼ばれrます。

銀行においては、金融という業界に独特のコンプライアンスや個人情報保護、社会インフラとしての責任などから、その業務処理にも多様な視点から多様な要請が加えられます。結果として、一般の人からは(行員からすら)意味不明なルールが制定されることになるのですが、もともとに立ち返ればそれは上記のような「最適な処理方法」の標準化の結果でしかありません。銀行側の説明が不十分で、行員が理解不十分(僕を筆頭に)だったことは問題ですが、「事務」や「マニュアル」そのものを憎悪していた僕の考えは、かなり的外れだったと言えます。

現実に、会社をゼロから作ってある一定の規模を越えてくると、「業務ルールの設定」「標準化」の必要性を痛感するようになります。先月はこう処理したけれど今月は別の方法でやった、とか、Aという製品はこうしたけど、Bは別の方法で処理したなどということになると、事業に深刻な問題を発生させかねません(業務の定式化と正確性)。また、Xさんが担当すると1時間で終わる業務が、Yさんだと3時間かかるといった事態も避けなくてはなりません。限られたリソースをいかに効率的に活用するか、というのは重要なポイントです(業務の効率性)。

こうした理由から、経営者にとってこの「ルール作り」というのは重要なテーマになります。そして、「いかに優れた処理方法をデザインしてルール化するか」が腕の見せ所になるわけです。当然ながら、業務オペレーションに不可欠になっているITの要素も絡んできます。目指すべきは、正確性を担保した上で最速の処理を実現できるオペレーション・デザインです。

ところが、いかに心血を注いでオペレーションデザインをし、ルールとして設定しても別の問題が出てきます。それは、上記の銀行のケースのように、「ルールの設定された背景や根拠が運用者に理解されない」という問題です。仮に第一世代の運用者には理解され、「なるほど、このルールならスピーディーかつ正確に仕事ができるぞ」と喜ばれたとしても、第二世代・第三世代と時間が経過していくうちに、やがてルールの作られた背景は忘れられ、「なぜこんなことをしなくてはいけないのか?」と疑問と不満をぶちまける人が出てきたりします。あるいは、環境の変化に伴ってルールそのものが時代遅れになっている(ITの進化でもっと効率的な方法が可能になった、とか)ケースもあるでしょう。

いったんルールを設定したら、運用者にはきちんとその背景を伝えて理解してもらうことはもちろんですが、定期的に「そもそも何のために?」という質問に答えるためのコミュニケーションを実施したり、環境の変化も踏まえてそのルールが最適なものになっているのかをレビューすることが、とても大切なことです。

 

 

 

 

日誌をつける、判断を記録する

愛読しているブログの一つに、「タイム・コンサルタントの日誌から」があります。その新年早々のエントリーを読んで、改めて業務日誌をつけるということの大切さを再認識しました。


習慣化の力 : タイム・コンサルタントの日誌から

 

これまでは、主にEvernoteをそのツールとして、仕事の資料やミーティングのログなどを保存することで、後から振り返りができる環境を作ってきたつもりだったのですが、これが今一つ価値を発揮しているという実感がありませんでした。もちろん、「あの時の打ち合わせで何を話したんだっけ?」といった際の備忘録としては役に立っていますが、「結局のところ自分はどういう判断をしたのか(=どういう行動をすると決めたのか)」が残されていないため、現在発生している状況が、自分のどのような判断によってもたらされたものなのか、振り返ることができない。

そんなもやもやを抱えていたのですが、上記のブログに触発されてスタートさせた「業務日誌」によってずいぶんとクリアになってきた気がしています。具体的には、1日の仕事の終わりに、その日を振り返って各イベントごとにどのような判断をしたのか、自分の思考プロセスも含めて結論を明記しておく。また、その際に利用したり作成した資料があれば、それも添付しておく (相変わらずツールとしてはEvernoteを使っています)。

メリットの一つは「短期の振り返り」。1日の振り返りという作業が必ず毎日発生すること。打ち合わせが立て込んだ日などは、自分でも意識しないうちにいくつもの意思決定をしているもの。それを、落ち着いた環境で振り返り、見直しをする機会を作ることができる。

二つ目のメリットは、「長期の振り返り」でしょう。後日、「当時はどうしてこの判断をしたのか?」という点が重要な意味をもったとき、適切な資料とともに振り返ることができる。(まだ僕の場合はレコードがたまっていないのでそこまではできませんが・・・)

上記のブログエントリーにある通り、この種の習慣が価値を持ち始めるには、100日くらいの蓄積が必要。まずは「短期の振り返り」のメリットを実感しながら、毎日続けていきたいと思います。

 

 

天正少年使節団は海外事業における「OKY」への有効な打ち手

海外で駐在している日系企業の駐在員の方とお話していると、「OKY」という話を耳にすることがあります。駐在している者同士、時に話題は双方の日本本社の悪口になってしまうこともあるもの。その中で、「OKYですよね、ホントに。」といった使われ方をします。「OKY」とは、「お前(O)、ここに来て(K)、やってみろ(Y)」。現地の状況を知らない本社の偉い人から、「○○拠点はいったい何やってるんだ!」といった現状無視の叱責を受けたときなどに、駐在員が心の中でつぶやくセリフです。

海外での事業展開においては、本国(日本)での経験からはとても想像できないような障壁が存在したり、思わぬところで足をすくわれたりするもの。駐在員はたいていの場合、本社からは見えないそうした障壁を乗り越えるのに一生懸命になっている。しかし、そんな日々の苦労は本社からの評価には含まれていないことが多く、そこにギャップが発生してしまうんですね。

いま読み進めている「クワトロ・ラガッツィ」という本は、戦国時代に日本からローマ・カトリック教会の総本山・バチカンに送られた4人の少年使節団の物語ですが。そこにこの「OKY」を打ち崩すヒントがありました。

OKY打倒策の立案者は、イエズス会の巡察師 バリニャーノ。日本史で少し耳にしたことのある使節団なのですが、いったい何の目的で?となると僕も知りませんでしたが、これが実はOKY対策だったのです。

バリニャーノ(イタリア人で、高い学歴と経歴を持つヨーロッパの知的エリートでした)は、日本に来て、日本のハイレベルな文化と日本人の高潔さ・賢さに驚嘆します。そして、「この日本こそ、カトリックの新市場開拓にとって最重要拠点となる地域だ」と確信します。しかし、アジア人を「野蛮人・半未開文明(semi-civilized)」と見下している当時のヨーロッパ人主流派の人々は、そんなバリニャーノに懐疑的。何とかそうした認識を改めて、日本の布教活動により多くの資源(人材・資金)を獲得したい。そんな思いから生まれたアイデアが、「日本の優れた武士階級の人材を使節としてローマに派遣し、そのレベルの高さを見せつける」という少年使節団だったというわけです。

バリニャーノの熱心な本社(バチカン)への情報発信と手の込んだ演出、また少年使節団メンバーの優れた資質もあり、使節団に謁見したローマ教皇は新市場における布教の成功に感激の涙を流したといいます。(残念ながら、使節団が帰国する頃にはすでに秀吉の世。キリスト教は禁止され、その後日本のキリシタンは非常な苦境に置かれることになるのですが・・・。)

こうした天正少年使節団をめぐる一連の動きから導かれるOKY対策は、以下の通り。

  • 【見せる】本社の人間に、現地をつぶさに見る・体験する機会を作る。できれば数週間以上の期間で。(キーパーソンとなったバリニャーノのポジションは「巡察師」。日本に数か月滞在し、本部に布教活動の状況を報告する役割でした)
  • 【伝える】現地の状況を、つぶさに(良いことも悪いことも)本社に報告して現状把握を促進させる。(バリニャーノは多くの書簡をイエズス会の総会長らに送り、日本人のすばらしさ、日本の政治の状況、布教活動の難しさなどを伝えていた)
  • 【驚かす】現地の優秀なスタッフを本社に派遣する機会を作り、その有能さや意識レベルを本社に驚きとともに印象づける。(少年使節団のメンバーには、特に優秀かつ物腰・雰囲気の秀麗な者が選ばれた)

 3つのいずれもが、海外展開する多くの企業が実際にやっていることではあり、特に目新しいものはないかもしれません。それでも、これらを「徹底して実行する」ということが、海外拠点の成長と発展には必要なのだと思います。

 

 

クアトロ・ラガッツィ (上) 天正少年使節と世界帝国  (集英社文庫)

クアトロ・ラガッツィ (上) 天正少年使節と世界帝国 (集英社文庫)