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日本は何はともあれ成熟した社会

衆院選の話題は海外にいるとあまり身近に感じないのですが、今回は日本滞在中に不在者投票したこともあり、自分の選挙区の結果だけはチェック。残念ながら、というべきでしょう、投票した候補者(愛知で減税を訴える地域政党の候補者)は落選し、自民党候補が圧勝していました。投票前からこうなることはみな予測できていたはずで、いかにマスメディアが「大義なき解散」を叫んだところで、解散そのものに違法性がない以上どうなるものでもありません。

アベノミクスの是非を問う、というのが「争点」だったと新聞には書いてありましたが、それも怪しいもの。国民はアベノミクスが今後引き起こす経済へのインパクトについて理解をしていたか?と言われれば、そうではない。というか、世界中が「どうなるんだろう?」と興味津々で見ているくらいだから、誰もその帰結を予想できない状況なわけで、国民にできたことと言えば、「他と比べてどこがよりマシか?」という消去法的選択にならざるをえない。

結果として、アベノミクスペリメント(アベノミクスの実験、エクスペリメントをかけた僕の造語)にあと数年の時間と資源を投じるという賭けに掛け金を投じるという意思決定がなされた。それが吉とでるかはわかりませんが、実行を中途半端にすることなく、やることをやる、ということでしょう。

それにしても、日本が総選挙において国民に選択を問うたテーマはとても抽象度が高く難しい。与野党の主張にほとんど差異がなく、自民党が好きか嫌いかしか選択の根拠がないような状況。これはいかに日本の経済社会が成熟しているか?を表しているように思います。言い換えれば、誰に、どの政党に投票しようが、個人の生活にダイレクトに損得が発生するようなリアリティーあるトピックは争点にすらならない。誰も見通せないような中長期的な課題や正解のない問いかけに有権者が晒されている。

当地タイでもそうですが、途上国の多くでは選挙というのは文字通り血が流れるほどのリアリティーを持っており、誰が勝つか?で個人の生活にダイレクトに影響してくるケースが多い。だから、出稼ぎの労働者であっても、タイでは仕事を休んで故郷に投票しに帰るといったことが当たり前に起こります。争点は明確で、どのグループが経済的利権を手にするか?が露骨に争われる。個人にとって、投票行為には「正解」があるのです。あとは数の勝負になる。だから投票率も高い。

日本は戦後の歴史を通じて、そうした血の出るような対立構造を経済成長の果実の分配によって少しずつ解消し、現在ここに至って「国民全員」の直面する課題に向かうための選挙をしている。成熟した社会のあり方として、これはこれで健全なのではないか?と思います。