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ばっさり捨てる。やめる。それは可能性の排除なのか?

ビジネスや芸術、スポーツなど各界で偉大な成果を挙げた人の書籍などを読むと、「○○はしないことに決めている」、あるいは「○○をすると決めている」という趣旨の言葉に出会うことが多い。

例えば、大前研一氏は「ゴルフはしない」「テレビには出ない」(これ以外にも山のように「しない」と断言している事柄があります)。他には「お酒は飲まない」「二次会には行かない」「結婚式には出ない」といったもの。あるいは「筆記具はこれ」とか「朝食はこれ」と決めているというケース。人それぞれなのですが、いずれも個性的な「決めている」に出会います。
 
一読すると、なんとまあ頑固な、あるいは狭量な、という印象を受けたり、はたまたこだわりが格好いいと感じたりしますが、実のところこの「決めている」は「フォーカス」の裏返しなんだと思います。
僕自身の最近の体験ですが、朝食メニューを決めました。これはバランスの良い朝食を摂るというメリットをもたらしたわけですが、それ以上に「買い物の時に迷いがない」「朝の行動に迷いがない」という事のほうが、実はメリットが大きいのでは?という気がしています。買うのはこれ、起きたら冷蔵庫からこれを出す、と「決めている」。迷いがないから行動が速くなり、時間の節約にもなるし、「迷う、考える、決める」というプロセスを踏む労力、ストレスもない。
 
いろいろな選択肢から最適なものを選ぶことは、可能性を広げることです。もっといいもの、もっといいやり方があるかもしれない、と探索することで、より良い仕事、より良い人生につながる。
ただ一方で、人生における優先順位の低い事項について必要以上に選択肢を持つことは、時間と労力とをいたずらに浪費していることにもなる。
より優先順位の高い物事にフォーカスし、そこでの選択に時間とエネルギーを使うために、それ以外の領域では捨てるべきものを捨てる。
 
スティーブ ジョブズにこんな言葉があります。
 
方向を間違えたり、やりすぎたりしないようにするには、まずは重要でもなんでもない1,000のことにノーと言う必要がある。