手間をかけると愛おしくなる 自分で作るということ

最近、ヨメが自宅でパンを作ったり、豆腐を作ったり、ベーコンを作ったり、はたまた果実酒を作ったりしてくれます。普通はスーパーで買って来るのが当然というものを、自宅で作る。僕が育った家庭はそういうことに関心のない家庭だったので、「買ってくるのが当たり前」なものたちがどんどん自宅で材料段階から作られて行くのを見るのはとても新鮮です。
そうしてゼロに近いところから家族の手で作られた食べ物は、自然と美味しいと感じるものだし(本当に美味しいのです)、何より食べるという行為そのものをある種の「愛おしさ」とともに体験することができているような気がします。ありがたいなぁ、素晴らしいなぁ、と。美味しさという感覚に、そうした愛おしさまでが加わると、実にすがすがしいものです。
以前にこのブログでも紹介した禅についての本の中で、「同じコーヒーを淹れるにしても、コーヒーメーカーではなく、豆を煎り、自分でひいて、ゆっくりとお湯を注ぎながら時間をかけて用意した一杯は、まったく違った存在になる」というような記述を読んで「ほお」と思ったものですが、時間と手間をかけて自分の手で作る/家族の手で作られたものをいただくというのは、日々をみずみずしく、大切に生きる上でとてもいいものだと感じます。
「産業化社会で人間性が失われている」などという紋切り型の話しをするつもりはありません。利便性の高まったおかげで、これまでできなかったことが沢山できるようになったり、快適になったりしているのは間違いのない事実なのですから。そこに、「自分で手間をかけて作る」というスパイスをi少し加えると、とても豊かな気持ちが芽生えてくるということ。
ムスメがいろいろなことをどんどん吸収していく今、そうした豊かな気持ちを家族と味わうのが「当たり前」と感じてくれるようになるといいな、と思っています。