魅力的な地方都市が豊かさを作るんじゃないか

人口や経済が巨大都市へと集中してしまう現象、日本でいえば東京への集中について、最近少し考えるようになりました。以前に紹介した中国における都市への集中などを見てもそうですが、「もっと違った形にならないものか」と。

今の生活が不快で鼻持ちならないということはありません。むしろ、東京という街は「便利」この上ない。それでも、こういう記事を読んだりすると「やっぱり何かがおかしいよな」と思うわけです。
アメリカの年収300万円の人が、日本の年収1500万円の人より豊かなのはナゼ? - 内藤忍の公式ブログ

確かに大都市における生活というのは便利です。いったん味わってしまうとなかなかやめることができない。僕の両親は以前は名古屋の東方部に住んでいたのですが、10年ほど前に中心部のマンションに引っ越しました。家は狭くなったし夜は周囲が騒がしかったりとデメリットはあるものの、名古屋の中心街に徒歩でアクセスできるという立地から「もう離れることはできない」と言います。東京などの大都市への集中というのは、こうした人間の心理を反映して起こっているのでしょう。

人が集まれば、そこに需要が生まれサービスや商品が提供され、雇用(仕事)が生まれます。その仕事を求めて人がまた集まって、というサイクルが機能していくわけですね。そして、街はどんどん便利になる。これはよほどのことがない限り止めることができない。

もし仮にそうしたサイクルを止める力を持つとしたら、それは「豊かさ」というものに対する人々の認識の変化なのではないかという気がしています。かつては「豊かさ=利便性」とされていたものが、次第に変化しつつありますよね。どんなに便利であっても、それは真の豊かさとは違うんじゃないかという感覚が、だんだんと人々の間に広がっている。日本でで続く経済的な低迷がそうした感覚を後押ししている部分もあると思います。そしてある日、「このサイクル、もうやめない?」とみんなが思うようになる。

そんな瞬間の到来に向けて、人々の心をとらえる「豊かな地方都市」というものが作れたらいいなと考えています。東京のミニチュア、「東京よりちょと不便だけど低コストな街」といったポジショニングではなく、東京にないものがある地方都市。独自の豊かさを訴求して人々を魅了する地方都市。そんな力が、東京に集まろう集まろうとする人々の心にぐさりと楔を突き刺して、ぐっと引き戻してくれるといいな、と思うのです。