かっこうの卵は誰のもの

東野圭吾の最新作「かっこうの卵は誰のもの」を読みました。久し振りの小説。楽しみながら、買ったその日のうちに読了。この手の小説を買うと、ゆっくり楽しむというよりは駆け抜けるように読んでしまう。悪い癖です。

カッコウの卵は誰のもの

カッコウの卵は誰のもの

プロスキーヤーとしてオリンピックにまで出場した父。そしてその娘は、父をも上回る才能を持っていた。ところが、そんな二人には隠された秘密が・・・というようなストーリー展開。ラストに近づくにつれて真実が解き明かされていくというスタイルの小説で、なかなか面白く読みました。
テーマは、「才能」というもの。優れた才能を授かって生まれてきた子供の能力は、いったい本当のところ「誰のもの」なのか?という問いかけがなされています。親のもの?子供自身のもの?子供に何らかの才能があるとわかったとき、親はそれを伸ばすことを子供に強制できるか?あるいは、子供自身の完全に自由な選択にゆだねられるべきなのか?
昨今では、スポーツの世界では英才教育が流行です。というよりも、競技レベルの向上に伴って幼少時からのスキルトレーニングがないと世界的なレベルで活躍することが難しくなっているという現実があります。それはつまり、子供自身が自分の意思で「これをやろう」と心に決める前に、親なり周囲の人間なりがその才能を見出して、外的にその競技に取り組ませる形になるということです。
ゴルフの石川遼選手、フィギュアスケート浅田真央選手など、ここ数年で脚光を浴びる世界レベルの選手というのは、みな一様に10歳になる前から競技の世界に飛び込んで(あるいは飛びこまされて)います。それが本人にとっての幸福に本当につながっているのか?そんな疑問を、投げかける小説です。
皆さんはどう思われますか?