どうして学ぶのでしょう

人はどうして学ぶのか、ということを少し考えていました。僕自身は「学ぶ」という行為が好きな方だと思うのですが、それがどうしてか?というのはあまり考えたことがなかったし、どうして学ぶのか?ということをあまり整理して考えたことがなかったように思います。
■人が学ぶ理由1
人が学ぶ理由として最も大きいのは、目標と現実とのギャップを埋めるため、ということではないでしょうか。身につけたいスキル・能力や就きたい職業に対して、現在の自分がそれを充足するだけのものを持っていないときに、人は学びたいと思うでしょう。
ギャップを埋めるための学びを成功に導くために大切なのは、目標を自分なりに納得できるもの、本当に「やりたい」と思うものに設定するということです。地図上の目的地が不明確なままで航海を始めては、いったいどこに向かえばいいのかわかりませんし、大して行きたくもない場所を目的地にしてしまったら、ちょっとした嵐(困難)でもくじけてしまうでしょう。
■人が学ぶ理由2
もうひとつ人が学ぶ理由として考えられるのが、「学んでいることによる安心感」というものです。少し意地悪な表現になるのですが、人は自分が学んでいるという現実から安心感を得て、それを糧に日々を生きているといったことがある気がします。
何となく資格を取ろう、とりあえずスキルアップしよう、といった動機で始まる学びのプロセスというのは、ギャップを埋めるという要因以上にこの安心感というのが効いているケースが多いのではないでしょうか。「自分は勉強をしているから、将来は何とか大丈夫だろう」とか「仕事はつまらないけれど、夜は自分の勉強をしてるから、いつかそれが実るだろう」といったケースです。
新しい知識やスキルを得る勉強そのものは確かに楽しいものですし、それを継続することにももちろん意味はあります。将来思わぬところで昔の勉強が役に立った、なんてことはよくあることです。僕自身もこれまでに、そんな形での学びというのをたくさん積み上げてきましたし、実際にそれが役に立ったりもしています。
ただ、人間には時間の制約という、誰しも逃れ得ない限界が設けられています。同じ学びに使うのであれば、自分の立てた大きな目標に向かうための学びをするほうがいいというのは誰しも認めるところでしょう。まずは仮のたたき台でも何でもいいので、自分の地図に目標地点を描いてみるということから始めてみるのがいいかもしれません。その上で、航路上にどんな学びをセットしていくのかを決めていく。
やってみると、けっこう楽しいプロセスです。