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 製氷皿の衰退

今住んでいる家に引っ越したときに、いわゆる家庭用の大きめの冷蔵庫に買い換えました。それまでは一人暮らしの時に使っていたものをそのまま使っていたから、家庭で使うには少しどころかかなり手狭だったのです。そして、そんな大きな冷蔵庫にはいまどき当然のごとく製氷機が内臓されていて、水を入れておくとどんどん勝手に氷を作ってためておいてくれます。
これは便利なもので、ちょっと麦茶を飲んだり夜にちょっと冷酒を飲んだりというときにすぐに使えて、水を入れ忘れることさえなければ使い切ってしまうということがないくらいに豊富な氷が常時保管されている。
そうした便利な機能というのは、自ずと生活の一部を改変してしまいます。以前はこんなに氷を使う機会なんてなかったんじゃないかと思うのだけれど、いまや何を飲むのにもコップに氷をガバーっと入れている。製氷皿でこつこつと氷を作っていた時分には、なんだか「あと2個入れたら残りが少なくなるな」とかいった遠慮が働いて控えめにしていたのに、今ではガバーッである。
これが健康にいいのか悪いのか、僕にはなんとも言えないけれど、新聞の土曜版なんかを見ているとどうも過剰に体を冷やすのはよくなさそうです。そういう意味では、製氷機に僕の健康は蝕まれている!!と叫んでもいいのかもしれない。もちろんそんなことを気にするはずもなく、実際には氷を無賢慮にすくいとる快楽に負けて毎日のようにガバーッなわけだけれど。
こうなるとちょっと寂しくなるのが失われゆく製氷皿というもの。僕が子供のころには、だいたい製氷皿に水を入れてそおっと冷凍庫に運ぶのは子供の仕事だったりしたので、何度となく製氷皿に水をためては余分な水をちょいと傾けて落として、なんてことをした記憶がある。
冷凍庫に入れてもしばらくの間はそのことが気になってしまって、ちょっとしてから見に行って指を突っ込んでみたりといういたずらをしたものです。失われ行くものへの感傷といのは、こんな些細な器具にまで及ぶものなんだなぁ、という思いを抱きつつ、いまも氷をガバーッと入れたコップで麦茶を飲んでいます。
※製氷機に入れる水について、浄水器を通した水を使っちゃうとカビるからダメだ、という話を聞きました。水道水なら大丈夫だそうです。本当かどうかはわからないけれど、確かに氷の山の中に1年前のカケラが残っていないとも限らないから、気をつけた方がいいのかもしれませんね。