社長はなぜ運転手付きの車で移動するのか その1 異文化視点から

最近、タイの会社で面白い事件(?)がありました。社用車としてリースしている車がリース期限を迎えて新しい車に買い替え(リース)ることに。そこで発生したのが「異文化間の壁」を感じさせる騒動でした。

その車は日本人駐在員のゼネラル・マネジャー(GM)が通勤に使うとともに、日中は営業マンを始めとするスタッフが外出に使用するのですが、同GMは片道2時間以上という遠方からの通勤。彼は腰痛持ちということもあり「後部座席がリクライニングのできるタイプがいい」との要望がありました。

後部座席が可動式になっているのは主にハッチバックタイプやSUVなので、私は予算の範囲内で中型クラスのハッチバック車がいいのでは?とタイ人の総務担当にアドバイスしたのですが、そこで想定していなかった反応がありました。彼女は猛然と反論したのです。「GMはこんな車に乗るべきではないです!」

私は思わず「?」となりました。上場会社の社長というならいざ知らず、まだ立ち上がって5年弱の中小企業である我々が、車の「格」にこだわってどうするのか、と。その旨を笑いながら説明しても、やはり彼女は真顔で「No」と言います。どうやらここはきちんと話をした方が良さそうです。

反対する理由を具体的に説明してほしい、と言うと彼女は厳しい顔つきでこう言いました。

「彼(日本人GM)は会社の幹部としてお客さんやサプライヤーさんを訪問します。その時に乗っている車がこれでは、会社として恥ずかしい。私たちも恥ずかしい。ハイレベルな人はハイレベルな車に乗るべきです。」

ここでふと、先日ここで紹介した「異文化理解力」で紹介されていた事例を思い出しました。自転車で通勤するオランダ人マネジャーに対して、ロシア人の部下が「恥ずかしいからやめてくれ」という話。ロシアを含むいくつかの文化においては、組織の上層部は権威ある存在であるべきで、それを組織のメンバーもまた誇りに感じる。逆にその権威が傷つけられた時、メンバーは自らの誇りを傷つけられたように感じる、というもの。

上記の事例で言えば、彼女にとって会社は(小さかろうが新しかろうが)プライドを持って仕事をしている場所であり、その組織の幹部には権威を持って外部と接触してほしい。誰に見られても恥ずかしくない車に乗ってほしい。当然それは運転手付きでなくてはいけない。それが社員にとっても誇らしいことだから。

タイは、国王・王家を筆頭とする厳しいヒエラルキーで社会が構成されています。明確な区分こそないものの、身分格差は非常に大きく、そしてそれを国民が受け入れている文化。上層部の人間は、権威を持つと共に慈愛の心を持ち、下層の人間を思いやり、優しく、時に厳しく導いていく存在であるべき。だからこそ、組織の階層に対する認識も厳格です。異文化理解力の視点で言えば、「階層主義的」な文化(対する概念は「平等主義的文化」)に該当するのでしょう。

オチとして、結局当社の駐在員GMは、腰痛を抱えたままセダンタイプの車を充てがわれることになった、というわけです。こんな日常の事例からも異文化マネジメントの面白さ(?)が垣間見えるというのが、海外での仕事の醍醐味ですね。

 

異文化理解力――相手と自分の真意がわかる ビジネスパーソン必須の教養

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