天正少年使節団は海外事業における「OKY」への有効な打ち手

海外で駐在している日系企業の駐在員の方とお話していると、「OKY」という話を耳にすることがあります。駐在している者同士、時に話題は双方の日本本社の悪口になってしまうこともあるもの。その中で、「OKYですよね、ホントに。」といった使われ方をします。「OKY」とは、「お前(O)、ここに来て(K)、やってみろ(Y)」。現地の状況を知らない本社の偉い人から、「○○拠点はいったい何やってるんだ!」といった現状無視の叱責を受けたときなどに、駐在員が心の中でつぶやくセリフです。

海外での事業展開においては、本国(日本)での経験からはとても想像できないような障壁が存在したり、思わぬところで足をすくわれたりするもの。駐在員はたいていの場合、本社からは見えないそうした障壁を乗り越えるのに一生懸命になっている。しかし、そんな日々の苦労は本社からの評価には含まれていないことが多く、そこにギャップが発生してしまうんですね。

いま読み進めている「クワトロ・ラガッツィ」という本は、戦国時代に日本からローマ・カトリック教会の総本山・バチカンに送られた4人の少年使節団の物語ですが。そこにこの「OKY」を打ち崩すヒントがありました。

OKY打倒策の立案者は、イエズス会の巡察師 バリニャーノ。日本史で少し耳にしたことのある使節団なのですが、いったい何の目的で?となると僕も知りませんでしたが、これが実はOKY対策だったのです。

バリニャーノ(イタリア人で、高い学歴と経歴を持つヨーロッパの知的エリートでした)は、日本に来て、日本のハイレベルな文化と日本人の高潔さ・賢さに驚嘆します。そして、「この日本こそ、カトリックの新市場開拓にとって最重要拠点となる地域だ」と確信します。しかし、アジア人を「野蛮人・半未開文明(semi-civilized)」と見下している当時のヨーロッパ人主流派の人々は、そんなバリニャーノに懐疑的。何とかそうした認識を改めて、日本の布教活動により多くの資源(人材・資金)を獲得したい。そんな思いから生まれたアイデアが、「日本の優れた武士階級の人材を使節としてローマに派遣し、そのレベルの高さを見せつける」という少年使節団だったというわけです。

バリニャーノの熱心な本社(バチカン)への情報発信と手の込んだ演出、また少年使節団メンバーの優れた資質もあり、使節団に謁見したローマ教皇は新市場における布教の成功に感激の涙を流したといいます。(残念ながら、使節団が帰国する頃にはすでに秀吉の世。キリスト教は禁止され、その後日本のキリシタンは非常な苦境に置かれることになるのですが・・・。)

こうした天正少年使節団をめぐる一連の動きから導かれるOKY対策は、以下の通り。

  • 【見せる】本社の人間に、現地をつぶさに見る・体験する機会を作る。できれば数週間以上の期間で。(キーパーソンとなったバリニャーノのポジションは「巡察師」。日本に数か月滞在し、本部に布教活動の状況を報告する役割でした)
  • 【伝える】現地の状況を、つぶさに(良いことも悪いことも)本社に報告して現状把握を促進させる。(バリニャーノは多くの書簡をイエズス会の総会長らに送り、日本人のすばらしさ、日本の政治の状況、布教活動の難しさなどを伝えていた)
  • 【驚かす】現地の優秀なスタッフを本社に派遣する機会を作り、その有能さや意識レベルを本社に驚きとともに印象づける。(少年使節団のメンバーには、特に優秀かつ物腰・雰囲気の秀麗な者が選ばれた)

 3つのいずれもが、海外展開する多くの企業が実際にやっていることではあり、特に目新しいものはないかもしれません。それでも、これらを「徹底して実行する」ということが、海外拠点の成長と発展には必要なのだと思います。

 

 

クアトロ・ラガッツィ (上) 天正少年使節と世界帝国  (集英社文庫)

クアトロ・ラガッツィ (上) 天正少年使節と世界帝国 (集英社文庫)