どんな言葉を使うか。その気になれば無視できる、でも意外と深刻な問題

ムスメが2歳を過ぎて、日々新しい言葉や用法をマスターしていく状況を前にして、いよいよ本格的に考えようと思ったのが「子どもとの会話」について。極めて感受性の高いこの時期に、僕たち親がどんな言葉を彼女にかけることが彼女の情緒・思考の成長を最大限に後押しすることになるんだろうか?もちろん一つの正解なんてないテーマだけれど、意識をもって取り組むのとそうでないのとでは雲泥の差があるはず。

手始めに、この本を手にとりました。

子どもの話にどんな返事をしてますか? ―親がこう答えれば、子どもは自分で考えはじめる

子どもの話にどんな返事をしてますか? ―親がこう答えれば、子どもは自分で考えはじめる

子どもたちが自発的に考え、行動するためには、親がどのようなスタイルでコミュニケーションをとり、言葉をかけるかに焦点を絞って書かれています。

例によって同時進行でいろいろな本と一緒に読んでいるのでまだ途中ですが、読みながらつくづく感じるのは、この本のタイトルの「子ども」を「パートナー」「部下・上司」「友人」などと置き換えても1冊の本として全く問題なく通用するだろうな、ということ。つまり、相手が子どもであろうと大人であろうと、人間同士のコミュニケーションにおける「大切なこと」はたいてい共通している。

相手が人間として当然に感じるであろう感情に思いを向けて、言葉のコミュニケーションツールとしての「機能」ではなく、その言葉が相手の心にもたらすインパクトを重視する。これって、仕事上の人間関係でも夫婦間でも同じことですよね。言葉の機能的側面のみに着目して言葉を発すれば、単に自分の望むアウトプットを提示するだけで十分(「これをいつまでにやっといて」)だろうけれど、そこに感情というピースを加えることで、相手に自分の持っている感情(期待感や心配事、信頼感や愛情)を伝えたり、相手の持っている感情を共有したり、それに配慮できるようになる。

相手の立場になって考えるなんて、小学校で習うよと言われてしまいそうですが、言葉というものが無自覚にいくらでも相手に向かって投げつけることのできる代物だけに、意識をきちんと持っていないと案外難しいものだと思います。
自分の使う言葉を意識なんてしなくても、人はたいした苦労もなく生きていくことはできる。だから、無視しようと思えば簡単にできてしまう。でも、子ども・パートナー・上司や部下・友人たちと、長期的で豊かな人間関係を築いたり、相手を成長へと導いたりするには、それだけでは足りないということ。僕自身もうまくできる訳ではないので、これからの日々を意識的に言葉を選び取る習慣の中で送って行きたいと思っています。

Kazuteru Kodera