今だけの不自然 子どもの成長は「得る」ことでもあり「失う」ことでもある

ここ数週間、ムスメの言葉が目覚ましく進歩しています。ほんの2週間ほど前まで言えなかったはずの疑問形や、不確定な状態を表す「かも」、希望を表す「したい」など、表現のバリエーションが飛躍的に増えていき、以前はめちゃくちゃだった語順も正しいものになってきています。

それと歩調を合わせるように進化しているのが歌。TVや保育園で習う歌を、とても正確に再現できるようになっている。以前は彼女の歌を聴いても何を歌っているのか当てるのには相当な推理力を必要としたのですが、今ではほぼ確実に、それも明瞭な形で伝わってくる。

以前の歌では、「ちゅちゅらーうー、まま、うん、いえい!」というのがありました。何度も繰り返して歌うので、きっと保育園で練習しているのだろうというところまではわかっても、何の歌だかわからない。結局、「(ジングルベールジングルベール)鈴がーなるー・・・・イエイ!」でした。

そんなめちゃくちゃな歌や言葉を聞きながらその珍妙さに笑い転げたり、片言の言葉にたまらない可愛さを感じたりしていたわけですね。
ところが、ムスメの成長に伴ってそうした面白くも可愛らしい表現というのは自ずと減ってくることになる。子どもの成長はたくさんの知恵や経験、そしてスキルを得ていくプロセスではありますが、一方で幼い子どもならではの、言いようのない無垢な可愛さ、おかしさというのが失われていくプロセスでもある。

僕たち大人はそれを受け入れて祝福することしかできないのですが、「もう一度あの頃に」という気持ちは世の中の親の誰もが持つ感情なのでしょうね。