都市への集中が奪う「本当の豊かさ」

中国では、北京への急激な人口流入がさまざまな問題と軋轢とを生み出しているという記事を読みました。
http://dlvr.it/GQqPx
大都市・北京が放つ妖艶な魅力は地方から多くの貧しい人・夢を追う人とを引きつけ、結果として人口が急拡大。予め設計されていた都市機能のキャパシティーをオーバーする結果となってしまったようです。居住環境の悪化、犯罪率の上昇、ゴミ問題などがもともと北京に居住している人々の住環境をも圧迫するに至り、「北京人」と「流入した人々」との間に大きな軋轢を生み出している、と。
かつて鄧小平が唱えた「雁行型の発展」は、沿岸部に代表される一部の地域がまず豊かさになり、それに引っ張られる形で内陸部へと発展を広げていくという発想に立っていました。その前提にあったのは、発展の遅れる内陸部の人々がその「遅延」を我慢し耐えてくれるという前提です。ところが、もはやその前提は崩れつつある。
我慢ができなくなったときに起こるのは、「政府に対する不満」と「都市への憧憬」というマイナス・プラス双方の感情でしょう。前者は年間数万件以上と言われる中国の国内暴動につながり、後者は冒頭の記事が紹介するような都市への過剰な人口流入に結びついています。どちらも、鄧小平が目指した中国全土の長期的発展と国民の豊かさという姿とは相反するもの。
日本を振り返ってみれば、中国ほどの都市・地方間格差はないものの、東京への一極集中という現象は中国のそれと似たものを感じます。地方への配分が少ないと政治に対して怨嗟の声が上がり、一方で若者は地方では仕事がない、と東京を目指す。「不満」と「憧憬」という二つの感情がここ日本にも存在しています。
北京での都市キャパシティー超過という問題は、程度の差こそあれ東京でも起こりつつある問題だと感じます。憧れの対象たる東京であるにも関わらず、そこで生活する人々が「豊かさ」を享受しているかと言えば、そうではありません。狭い居住環境、朝夕のラッシュ、荒廃し無関心化する人心。。。
地方分権であるとか首都機能の分散というテーマが語られることは増えてきたように感じますが、それが地方への配慮や災害・防衛対策といった文脈で語られることには違和感があります。日本という国が全体としての「豊かさ」をどのような形で設定し、それを目指してどのような国土のデザインをするのかという視点で、議論をしていきたいと思います。