他者への発信 自己との対話

前回のエントリで、プレゼンテーションの役割について書きました。プレゼンテーションは他人に自分の考えやアイデアを伝えるものであるという以上に、自分の考えを結晶化させる、純化させる役割があるのではないか、という視点です。

今回はその考えから派生して、「他者への発信」と「自己との対話」について考えてみたいと思います。両者はともに何らかのメッセージや考えを文章や言葉にするという行為ではありますが、それぞれの持っている意味合いは異なるように思うのです。そして、その双方について、十分な時間を投じることが思考を深めるには必要だと僕は感じています。

今ここで僕が書いているようなブログや、前回のエントリでテーマに取り上げたプレゼンテーションが「他者への発信」だとすれば、誰にも見せることを想定しない、自分だけのために書く文章、絵、マインドマップ、時には形にならない思考のつながりなどが「自己との対話」ということになるでしょう。

内容的な違いから言えば、「他者への発信」は読み手や聴き手といった他者を想定しているわけですから、相手にもわかる言葉、論理で作られている必要がある一方、「自己との対話」においては、内容を自分だけがわかればいいわけですから、大幅にその制約は緩和されることになります。つまり、自分だけが理解できる言葉、自分だけが知っている経験や思考を前提に、先へ先へと文章なり絵なり思考なりを作り上げていくことができるわけです。当然、こちらの方がスピードは速くなります。

こう考えたとき、より思考を深めるためにこんなやり方がいいのではないか、と思ったのです。すなわち、「自己との対話」で思考を先へ先へとスピーディーに進めておいて、何らかのメッセージが浮かび上がってきたところでその思考過程を振り返りながら「他者への発信」をするのがいいのではないか、と。

「自己との対話」はスピードが速い分、読み手や聴き手を想定していないので内容がぶっ飛んでいることが多い。それでも結論やメッセージに行き着くのは速い。一方、「他者への発信」は、他人にわかるように構成を作ったり前提の説明を加えたりが必要な分、他人の視点を考慮していろいろな角度から思考を検証することができる反面、スピードは遅い。この二つを順番に配置することで、深められた思考を手頃な時間でアウトプットする(発信する)ことが可能になるのではないか、と。

自分自身の経験として、自分の中で思考をしていた時間が長い(累積思考時間が長い)テーマほど、ブログのような形で発信することが容易と感じますし、逆に、いきなりこうして紙面に向かって書き始める文章ほど苦しいものはありません。単に「準備が足らない」と言ってしまえばそれまでですが、言い換えればそれは「自己との対話が不十分だった」ということも言えるのではないか、と思うのです。

Kazuteru Kodera