ITによる教育の変革と喪失

アメリカを中心とした先進国で、IT企業が続々と教育分野へのビジネス展開を進めているようです。クラウドを活用したサービスを州政府に提供して教育分野での活用を促したり、学校向けの安価なPCをリリースしたりという動き。最近では、iPadに着目する教育関係者も多いということで、今後は教室内に液晶ディスプレイが溢れることになりそうです。

具体的にどのように使うのか?という点はまだまだ議論の余地があり、また様々な活用方法が今後も考えられて行くことになるでしょう。

現時点で最も現実制が高く、かつ教育業界の注目を集めている事例としては、教科書の電子化による「電子教科書」の導入です。何科目もの分厚い教科書を毎日学校に持って行く負担から生徒を解放することができるし、紙の教科書よりも低コストに抑えることが可能になります。

コンテンツ面でも、電子化された教科書のメリットが唱えられています。例えば、教科書上に表示された生き物の写真をタッチすると鳴き声の音声が流れたり、生態を動画で表示してくれたり。より「リアル」かつ「多様」な学びを創出できるということです。

確かに、ネットと融合した電子教科書によって、多彩な教育コンテンツを先生は提供することができるようになり、生徒の側も従来の紙の教科書では把握することのできなかった様々な事柄について、その場で調べたり、動画でより身近に感じたり、あるいは他の学校や外国の学校の生徒と交流しながら学んだり、といったことも可能になってきます。すごいことですね。これまでの教科書よりも、はるかに刺激に満ちた、楽しい授業になるのが目に見えるようです。

一方で、僕自身はそうした変革に対して懸念を感じる部分もあります。液晶ディスプレイによって表示される「リアルに近い」コンテンツの力を前にして、子どもたちが本当の「リアル」から遠ざかってしまうのではないか、ということです。

「テレビで見たことがあるから」という理由で、海へクジラを見に行くツアーに行きたくないと言う子どもがいるといった話を聞くにつけ、「本物」の持つ圧倒的な存在感や迫力に触れることなく、「本物らしい」液晶ディスプレイ上の表示物で代替してしまうことの違和感を感じるのです。

今後僕たち大人が考えて行くことになる課題は、本物と本物らしいものとの巧みな融合をどのように進めて行くかということではないかと思います。例えば、クジラを「見る」ことはディスプレイ上でもできますが、海面に体を叩き付けた時の振動や爆音、吐き出される生臭い息を感じることは船に乗って出かけてみなければわかりません。そして、「見る」以外の「感じる」部分の方にこそ、心と直結した感動といったものが隠れている気がするのです。

ディスプレイ上で「見た」たくさんの物事の中から、興味・関心を引くものに対しては「見る」だけにとどまらず「感じに行く」、そんなアプローチをとることから、、リアルとリアルに近いものとの融合が始まるのかもしれません。かつては「見に行く」という表現だったものが、これからは「感じに行く」ということになるのかもしれませんね。

Kazuteru Kodera