醇化という言葉 自分と日本と

最近知った言葉でとても気に入ったのが「醇化(じゅんか)」。辞書的な定義としては、

不純な部分を捨てて、純粋にすること。純化。

となるのですが、発酵の「酵」の字が使われていることからも、それが単に「純粋なものにする」という意味を超えて、ゆっくりと時間をかけて純粋なものに近づいて行く、少し長い時間軸でのプロセスを指しているような気がします。
何か新しいものを受け入れたとき、そこには常に何かしら不純なもの、良いとか悪いとかではなく、自分にとっては必ずしも必要でないものが含まれているということがあります。それを、自らの体内でゆっくりと「醇化」し、必要なものを大切に取り出して行くようなイメージ。
個人に限らず、例えば日本という国も「醇化」をしてきたと言えます。新しい海外の文物、古くは聖徳太子の時代の仏教や中国/朝鮮半島の文化、明治維新期の西洋文明など。
そうした新しいものをいったん体内に取り込み、全てを吸収して身体の一部とするのではなく、ゆっくりと時間をかけて「醇化」していく。自らに必要のない部分は削ぎ落とし、付け加えるべきものは自らの文化や歴史的な背景をふまえて付け足して行く。
結果として日本という国は、中華文明と西欧文明とに強い影響を受けながらも、独自の文化/文明を作り上げてきました。単に外国の進んだ文物を丸呑みしただけでは、「染まる」ことにはなっても独自の文化/文明を花開かせ、世界を魅了することなどできません。そこに「醇化」のプロセスがあったから、可能になった偉業です。
醇化。これから多くの外からの情報や知見に晒されて行くわれわれですが、醇化というフィルターを通すことで確固とした自己/自分の文化を、花開かせることができたらいい、そう思います。
Kazuteru Kodera