新興国の衝撃5 伝える力が人を動かす

(前回の2.使命感 に続いて。)
3.コミュニケーション能力
なぜ新興国の経営リーダー層は高いコミュニケーション力を、しかも英語でのコミュニケーション力を持ち、一方の日本人にはそれが備わっていないケースが多いのか。僕自身の経験を振り返ってみると、「教育」と「環境」における差異が大きいように思います。
A.教育
日本にとって最も大きなマイナス要因になっているのは、教育が知識型にとどまっており「自分の頭で考える」トレーニングを受ける機会がないこと。そして、それを他人に説明する機会がないことが挙げられると思います。
先生が教科書をもとにして解法と答えを教え、生徒はそれを覚えてそのまま答えるか応用していくというパターンが日本の教育です。これでは考える力が身に付きません。「答えはどこかにあって、自分はそれを知らないだけ」というスタンスでは、グローバル社会で直面する正解のない問題解決に立ち向かうことが難しくなってしまいます。
自分で考えることができないと、自ずと発するメッセージにも力や感情が籠らず、聞き手を動かすに十分なメッセージの力を言葉に与えることができません。また、そうした経験を積んで行く機会を教育の中で提供していかないと、なかなか十分なスキルが身に付かないというのも事実です。
英語という観点で見ると、ここにもかなり深刻な問題が存在しています。まず英語の教師がろくに英語を話せないのですから、そんな人々に英語を教わった子供たちが話せるようになるわけがありません。長年この問題は指摘されていますが一向に改善されません。これは現職の教員の既得権益が邪魔している以外の何物でもないでしょう。それが国を滅ぼす行為であることを理解して、すぐに外国人教師を大量雇用するなどの対策が求められています。

B.環境
これは特に社会に出てからの要素ですが、企業において「自分の考えを表明する機会」「英語で話をする機会」が他国民に比べて圧倒的に少ない。会議においても年少者は静かに黙って聞いているのがよしとされ、意見を言うと「生意気」と言われてしまうような環境は、社員の考える力をどんどんと奪って行く結果を招いています。
英語についても然りで、日本企業で仕事をしている人は国際部門にでも行かない限り英語を話す必要がない。社会に出てから使わないからこそ、学校で学ぶ必要もないということになっているのかもしれません。
企業や社会の中で、意識的に「自分の考えを表明する、わかりやすく説明する」「英語で意思疎通する」といった環境を作って行く必要があります。企業での会議を一定比率で英語にする、若手のうちからどんどんと自分の意見を表現する機会を提供するなど、すぐにでもできることがあるはずです。
Kazuteru Kodera