マンション建設反対運動と経済学

僕の家の近所、歩いて5分くらいのところに、ある大手不動産会社がマンションを建設中です。その隣には重要文化財に指定されている建築物を擁する民家が建っています。
お隣に文化財がなければただのマンション建設、どこにでもある光景です。しかしこの近所の事例は違います。黄色いノボリが建設地の周囲に立てられ、ちょっとものものしい雰囲気なのです。
だいたい想像はついたでしょうか?そう、この重要文化財を含む地域の景観を守れ、ということで、反対運動が起きているんです。建設開始の日など、反対派が建設予定地内に入らないように不動産会社側がバリケードを作るなど、かなり物騒な光景を目にしました。もう基礎工事が終わりつつある現在でも、ビラ配りやノボリなどによる運動は続いています。
反対派によれば、このマンションが立てられることで景観が損なわれるのみならず、建設地の前の坂道に吹く強風がさらに勢いを増し、周辺の住環境に甚大な影響をもたらすといいます。も不動産会社側も説明はしているのでしょうが、その対立は解消されていません。
僕自身、あの坂道にふく風がこれ以上強くなるのはゴメンだし、景観が損なわれるというのも事実だと思います。しかし、不動産会社の行為は適法。それに反対運動のたびに建設をやめていたのでは、不動産会社の経営は立ちゆきません。
ポイントは、この対立は当事者同士がどれだけ話し合っても解決は難しいだろうということ。そもそも、当事者とは誰なのか?という問にも答えることが難しい。
強風に悩まされることになる僕は当事者でしょうか?景観が損なわれてがっかりする通行人は?それとも、反対派に加わって活動する人々が当事者でしょうか?そう、わからないんです。
ある経済主体、この場合は不動産会社、の行為の結果、そのら行為の目的外で関節的に不特定多数の人が影響を受けるようなケースでは、当事者間の合意によって対立を解消することができません。当事者が誰なのか特定できないし、蒙る影響というのも金銭化、数値化することが難しいからです。
これは経済学でいう「外部性」というもので、市場の原理に任せておいては市場が効率的にならない、言い換えればうまくいかない事例です。代表的なものでは、公害などがあてはまります。公害も、企業の側は住民を苦しめるために有毒なガスを出しているわけではなく、製品を作るという目的の活動の結果、副次的に発生していることです。周辺の住民はもちろん悪影響を受けますが、誰が影響を受けているか厳密に決めることはできません。
このような場合は、政府が介入して、税金や割当制のような形で生み出される影響の量をコントロールする必要があるというのが経済学の考え方です。
今回のマンションの例でいえば、景観や風の度合いを周辺の住民が納得できるレベルまで規制する、といった形ですね。と書いてみるとふむふむという感じなのですが、これは非常に難しい。政府が風を計算?無理です。景観は?これも難しいでしょう。いたずらに政府に権限を与えると、逆に利権が発生したりして妙なことになりかねません。でも実際のところは、こういう類いの規制をする権限を政府は持っているし、たくさんの訳のわからない規制が現実に存在しています。
外部性を取り除くために政府が介入した結果、より非効率な市場が作り出さている。何だか本末転倒な話です。冒頭のマンションのケースでいうと、幸か不幸か政府・行政は介入していないようです。強風に悩まされることにはなりますが、妙な権限を政府に与えるよりはずっとマシ、そう思って我慢することになりそうです。


Kazuteru Kodera