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私信とDMのちがいについて

人は誰しも、「自分に向けて書いてくれた」文章というのは嬉しいと思うものです。自分のためだけに、誰かが筆をとって文章をしたためてくれる。手書きならなおさらだし、たとえメールであってもその人が自分だけのために文章を綴ってくれたというのは、文章離れが進む昨今ではなおのこと嬉しい。
我が家は比較的多く蜂蜜を消費する家庭で、休日の朝に決まって焼くホットケーキにも「シロップ」ではなく蜂蜜をかけて食べます。そんな蜂蜜をどこから調達しているかというと、静岡にあるとある養蜂場さんからネット経由で購入しています。一度現地のお店で買ったのがやみつきになって、その後は通販で買っているというわけ。
その養蜂場さんから蜂蜜を買うと、商品が届いて2日後くらいに必ず養蜂場のご主人からメールが来ます。「商品は無事に届きましたか?何かお気づきの点があれば私が責任をもって対応しますので、ご連絡ください」といった文章が、事務的でなくご本人の心のこもった文体で書かれているのです。さらに文末には追伸として「季節の変わり目になりましたね、体調には気をつけて」といった言葉も添えてある。
それなりに手広く販売をされているのだから、この文章はまさか僕宛だけに書いたものではなく、テンプレートを作ってあってそれをコピー&ペーストしているんだろうな、とわかるのだけれど、それでも文体から立ち上る「ココロ」の一部が伝わってくるようでつい心が温かくなります。
一方、いわゆるDMというのはどうしてあんなにも温かみの欠けた文章え構成されているのでしょう。字面こそ丁寧であっても、そこからはココロとか匂いとかいったものがまったく立ち上ってこない。不思議なものです。養蜂場さんからのメールだってコピー&ペースト、DMだってコピー&ペーストなのに。
人というのは不思議なもので、その文章を書いた人の気持ちとか心とかいったものを知らず知らずに汲み取ってしまうものなのかもしれません。