時間資源への鋭敏な感覚

経営者やコンサルタントなど、いわゆる「仕事人」の著作を読んでいて共通しているのは、どなたも「時間資源」というものの希少性・重要性について実に鋭敏な感覚をもって生きているということ。
総じて皆さん朝は早起き、睡眠時間も比較的多めにとり、万全の身体的・精神的状態で高いパフォーマンスを上げるべく限られた日中の時間を集中的・効率的に使う。
そんな姿を見習おうと、時間管理や効率UPに関する本を何冊も読んできました。そして、細かなノウハウも含めてそれなりに身に着けてきたつもり(昨日も書きましたね)。
ところが、そうした本を読んだ直後こそ時間資源への感覚は研ぎ澄まされ、少しでも遊んだ時間があると読書その他の生産的活動をしようとするものの、何ヶ月か経つと徐々にタガが緩み始めるのが常でした。気づくとキライなはずのテレビをぼんやり見ていたり、目的もなくネットサーフィンに興じていたり。
ここ数週間の仕事一色の生活を眺めていて気づいたのが、「これまでが甘かったんだな、うん」というもの。
本という刺激を注入してしばらくの間しか時間への感覚が持続しないということは、つまり「心の底から時間の希少性を感じていない」からに他なりません。
小手先のスキルやノウハウで生産性をわずかばかり高めただけで、簡単に超えられてしまう程度のハードル。そこからは、結局のところ本質的な自己変革は起こらないのでしょう。仕事の量にしろ質にしろ、これまでの「自分の常識」を大幅に上回るようなレベルのハードルを自分に与え、あるいは他人から与えられて、「このままじゃヤバい」という慄然たる思いにとらわれる瞬間こそ、変革の一歩につながるような気がしてなりません。
冒頭に書いたような「仕事人」の方々は、皆そうした瞬間を何度も何度も乗り越えて、どんどんと高みに挑みながら成長してきたからこそ、生活習慣の隅々に至るまで、時間資源への鋭敏な感覚が宿っているのでしょうね。