上流階級は志次第

ここ2週間ほど、仕事関係の予定がぎっしりとカレンダーを埋めています。めっきり本を読む時間が減ったり、こうして自宅のPCに向かう時間が減ったりと、少しペースが変わりつつある年の瀬。師走ですね。
そんな中にあっても、大地に這い蹲りながらの匍匐前進のように、本を読む毎日は続きます。あ、そうそう、ニュースペーパーレスライフからの脱却にも成功しました。これについてはまた機会があれば書きます。

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

滅多に読まない社会学系統の本ですが、話題になった「下流社会」という言葉に反応して購入。格差社会の到来に対する賛否両論が世をにぎわす中でもあり、少しは知見を広めたほうがいいか、という気持ちもありました。
社会学系統ということで、仮説を一般人への定量的アンケート調査結果で検証していく、あるいはアンケート結果から一定の推論を立てていくという展開。主要なテーマは、人々の上流・中流・下流という階層意識と、それぞれの階層意識を持つ人々の属性を世代別に分析していくこと。
内容はとても身近でわかりやすい(例えば、自分が上流階層に位置していると考えている30代男性の25%がタグホイヤーの時計をしている、とか)のですが、分析の中心にすえられているのが「階層意識」という人間のアタマの中ののことだけあって、どうも説得力に欠ける感は否めません。とはいえ、現代の日本で「自分は下流階層だ」と考える人が増えており、またそういった人ほど上昇志向が弱く比較的無気力に毎日を過ごしがちであるというトレンドは興味深い。更に、そうした人ほど「自分らしい生き方をしたい」と願っている、という結果も示されています。
「頑張れることも大事な才能」というのをあるスポーツ選手の言葉として聞いたことがありますが、どうやら現代日本では「頑張れない」人が増えているようなのです。自分を高めたいという欲求を失い、頑張れないこと・成長しないことを「自分らしさ」という生暖かい言葉で包んですり替えてしまう。自分は今の自分のままでオンリーワン、と心から信じていては、そこに成長はなくなってしまうのに。
単なるお金の有無だけでなく、「心」の問題をも含んだ上記のような階層は、どんどん固定化していきます。下流の人は下流であることを心地良く受け入れ、そのまま下流にとどまってしまう。
皆が必死に豊かな生活を夢見て蹴落としあうような社会は望ましくありませんが、各人がそれぞれ自分の成長を楽しみにしながら前向きに生きている姿に溢れた社会にはなってほしいと思います。学ぶ喜びには終わりがない、そう信じる人が増えるといいですね、この日本にも。