1  札束の重み お金のリアリティ

毎月送られてきていたクレジットカードの利用明細、最近はネットで見られるので郵送は止めていますが、その中身に大きな変化が一つ。やたらと沢山「JR東日本 モガイルSUICAチャージ」の項目が登場するようになったこと。

半年ほど前に携帯電話を機種変更して、「お財布ケータイ」デビューを果たした僕ですが、ここ最近はその利用頻度がとても多い。電車賃はもちろんだし、駅の自販機、ファミリーマート、レンタルビデオ etc。同時にインストールしている電子マネーEdy」の利用も併せると、毎月けっこうな金額を電子的に利用しているということになる。
さっそく今日も、ファミリーマートにクリーニングを出しに行って代金はSUICA。ついでにエクレアと牛乳を購入、こちらもSUICA。財布を取り出して小銭を「ひぃ、ふぅ、みぃ」とやるかつての風景はどこにもなく、素早くかつスマート。ただ、少し気になるのは、そこに自分がお金を使ったというリアルな感覚がいまひとつ存在していないということ。
思い返してみれば、家電量販店など一部の現金値引店を除けば高額商品の購入はほぼクレジットカード。細かい買い物は電子マネー。リアルマネーである紙幣や硬貨の利用頻度はどんどんと低下しているといわれていますが、こうした一消費者の行動を見てもそれがわかるというものです。
支払いという「出」の部分が電子的な手法に置き換えられていく中で、一方の収入は、もっと以前から変化しています。毎月の給料も、かつては「給料袋」なるものが存在し、手渡しで配られていた(小さい頃に見た記憶がおぼろげながら・・・)ものが、今では銀行振り込みが当たり前。ひどく忙しい毎日を過ごしていた時分など、給料が振り込まれたことすら気づかないこともあったりと、「入り」の部分のリアリティも失われつつある気がします。
札束の威力で交渉相手を黙らせる、とか、札ビラでほっぺたをひっぱたくとか、昔からよく言われる「現金の力」。電子的に置き換えの進むバーチャル貨幣の世界にあっては、そうした「現金の力」も徐々に削がれていくのかもしれません。
そういえば、銀行の地下金庫で2億円の入った袋の中を見たときも、大して感慨はなかったっけ・・・。