解放者 現る!?

ウェブ人間論」読み終えました。以前に「文明の憂鬱」というエッセイを読んだときもそうだったけれど、平野啓一郎という人からふと立ち現れてくる独特の視座には驚かされることが多い。驚かされるというか、気づかされるというか。累積思考量の差なのかもしれないけれど、やはりあれだけの小説を書ける人の思考の深さには、太刀打ちできないと思わされてしまう。
ウェブ人間論 (新潮新書)
一つの例を挙げると、

利便性というのは、基本的には一人の人間が、たった一つの身体に物理的に拘束されているという条件からの解放なんだと思うんです。たとえば、先ほどの遠くの人とコミュニケーションが取れないというのも、要するに体が一つしかないために、とある時間と場所とに縛られてしまっている状態のことで、この不可能をメールやチャットが可能にしてくれた。

ウェブ1.0は利便性の向上、ウェブ2.0は利便性以上の変容を人間に迫る、という文脈の中で、利便性とネットの可能性について出た発言です。少なくとも僕は、ネットのもたらす利便性を身体という物理的な拘束からの「解放」といった視点で評価したことはありませんでした。新鮮な感覚でした。
人間の魂は身体という有限な檻の中に閉じ込められている、という考えに立つと、ネットはそうした拘束からの解放者と見ることもできる。自身のブログをネット世界での分身と梅田氏が表現していることからもわかるけれど、既に多くのネット世界の住人たちは、そうした身体という物理的条件からの解放感をネットで味わっているということなのでしょう。
具体的には、仕事が忙しくて日ごろは物理的には会えない友人たちとmixiやブログを通じて語り合ったりというのも、ある意味で魂の身体からの解放だということ。
魂を解放された人間が、これからどんな風に進化していくのか。その時には一体どんな社会が現出してくるのでしょうか。梅田氏は、これから10年、20年で本当の変化が始まる、と言っていますが、それがどんな姿の世界をこの地球上・ネット上に作り出すのか、それは今のところ誰にもわからないことです。