もう知っている
藤原正彦さんのエッセイ、4冊目を読み終えました。ケンブリッジ大学への留学時代を綴った一冊。「若き数学者のアメリカ」と並んで海外での経験がみずみずしく、そして独特の感性で描かれています。
- 作者: 藤原正彦
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1994/06/29
- メディア: 文庫
- 購入: 10人 クリック: 40回
- この商品を含むブログ (64件) を見る
私にはイギリス人が、何もかもを知った上で、美しい熟年を送ろうとしているように見えた。彼らは、年輪を重ねた自分達が、テニスチャンピオンになったり、マラソンで世界新記録を樹立することが、できないのを知っている。ならば、騒々しく、生き馬の目を抜くような、軽佻浮薄で貪婪な若者であるより、気品あり、知恵もある熟年でありたい。
それは繁栄・富・成功・勝利・栄光などの先に横たわる物を、既に見てしまった者の生き方だった。
それは丁度、ベルリンの壁が壊され、東欧諸国が次々に解放され、自由を得た歓喜に人々が酔い、涙を流すのを、茶の間のテレビで見ていた時の複雑な気分に似ている。暗いトンネルを抜け出た彼らは、きらめくような自由の光に眩んでいた。しかし我々は、このめくるめく光の向こうに理想郷のないことを、もう知っている。
まだ経済的に貧しかった30〜40年前の日本と、ずっと豊かになった現代の日本。人々の「幸福感」はむしろ現代になって減退しているのだそうです。世界での経済競争を勝ち抜いて手にした物質的な豊かさが、心の豊かさにつながるわけではない、という人もいます。
しかし、例え自由や成功の先に理想郷がないのだとしても、豊かさの先に幸福がないのだとしても、変に達観して諦めるのではなく、「自分だけは違う」と信じて前に進んでいく。これが人間の持つ根源的なパワーだという気がします。
幸福の形は自分で作るもの。競争だってたまにはいいものだし、庭でぼーっとするのもいいもの。大切なのは、画一的な「他人の尺度」ではなく、「自分の物差し」で幸福を量り、自分なりのやり方で幸福を自分の中に作り出すことだと思います。現代における幸福の不在は、多くの人が「他人の尺度」で幸福を量ろうとしているからなのではないでしょうか。まずは、自分にとっての幸福、ということについて少し考える時間を作ってみる。こんなことから始めればいい気がします。