病院キャピタリズム

今週は月曜夕方から体調を崩して、火・水と2日仕事を休みました。週休4日とは呑気なものです。そして、人生で初めて大学病院なるものの患者になりました。見舞いには訪れたことがあったけれど、患者となるとこれは初めての経験。
まず驚くのは、その絢爛豪華な佇まい。町の医院にも瀟洒な造りのものはありますが、シャンデリアまで備えた絨毯敷きの「病院」にはなかなかお目にかからないものです。病院独特の辛気臭さなど何処にもなく、ふんわりとした絨毯と木目調を基本としたインテリアに、心の和みとともにどうしようもない違和感を感じてしまう、そんな不思議な空間でした。
受付に「初診申込書」を提出して待つこと20分程度。プラスティックバインダーに収められたカルテと診察券(磁気カード)が渡され、目的の医科の受付(僕の場合はA4受付)に行くよう指示されます。最初に受付を通ったはずなのに、もう一度さらに受付へ。どうやら大病院はお役所以上にシステマティックなようだ、と感じ始めたのはこの頃でした。豪華なインテリアで柔和な表情を作ってはいるものの、その中には冷たい金属的な匂いのする「システム」の存在が痛いほどに伝わってくるのです。
A4受付にカルテを提出して、待つこと約1時間半。ようやく名前が呼ばれます。ところがそこは、診察室ではなく「検査室」。医師の診察に必要となる基本的な検査は、看護師によって事前に行われ、医師は診察のみをする、という完全な分業体制が敷かれているのでした。名前を呼ばれたはずなのに、検査室の中にはさらに検査を待つ人の列。次々とルーティン化された検査を受けるために患者が呼ばれ、さばかれていきます。
検査を終えていよいよ診察。待つことさらに数十分。看護師が診察室への案内を呼びかける台詞も決まっているようで、「○○医師の診察室よりお呼びします。△△様、□□様・・・」。自分の名前が呼ばれて立ち上がると、まず診察券の提示を求められます。看護師の手元のカルテと患者本人の持つ診察券とを照合することで、患者の取り違えを防止するという儀式が始まるわけです。「○○○○様、診察券番号△△△△」と口に出して確認後、ようやく「中の待ち合い」へと通されました。
「中の待ち合い」?奇妙な響きですよね。そう、僕がそれまでいたのは「外の待ち合い」。次がいよいよ「中の待ち合い」というわけ。ここまでくると、王の謁見を待つ地方の木っ端役人のような気分になってきます。次の間、次の間と、どんどん奥には通されていくけれど、いつになったら肝心の王様にお目通りかなうのか、見当もつかない・・・。
「中の待ち合い」は、それぞれの医師が担当する診察室の前に数人が待っている、という空間でした。5つほどの診察室に、それぞれ3人ずつくらいだったでしょうか。ここからは、町の医院と大して変わらない雰囲気。○○さーん、と呼ばれ、中に入っていくという仕組みです。そして診察が終わると、診察料金がプリントされた紙と処方箋を受け取り、最初に通った受付の横にある「会計窓口」へ行くよう指示されるのです。
プリントには番号が振られていて、その番号が電光掲示板に表示されたら「行ってよし」。つまり、会計の準備ができたから来てもよい、という表示。ありがたく料金をお支払いすると、これまたありがたいお薬が、横の窓口でいただける、というわけです。

病院関係者が医師の名前を呼ぶときに、「□□先生」ではなく「□□医師」と呼ぶというルールが敷かれていたのも印象的でした。患者と医師の目線を同じくするという意図からされた措置なのでしょうが、時々言い間違えては言い直す看護師の姿もあったほど、なかなか浸透は難しいよう。これも、表面を作りこんではいるものの、その内に金属的な冷たさを感じる事例の一つです。
サービス向上と効率向上とを両立させるのはいつだって難しいもの。顧客に「自分はone of themではない」と感じさせるだけのサービスを展開しながらも効率的な運営を実現する、というのが昨今のマーケティングの基本です。僕が大学病院で見たものは、そうした姿を目指しつつも旧態を脱せずにいる、発展途上のグロテスクな亜種といったところだったのでしょうか。