「好き嫌い」と経営

とてもタイムリーに良い書籍に出会いました。楠木健氏の「好き嫌いと経営」。14人の経営者(いずれもトップクラスに有名な方々)に、その好き嫌いについてだけを聞いていくというインタビュー・対談形式の書籍。テーマは対談の中でビジネスから食べ物、趣味など幅広く展開されていき、どなたも個性的な面々なので、彼らが本音のところで何を「好き」と感じ何を「嫌い」と感じるのかというのは読み物としてとても面白い。また、彼らの経営スタイルや意思決定の背後に間違いなくその「好き嫌い」が息づいていることを感じさせてくれる点も「なるほど」と感じさせてくれる本でした。

 

「好き嫌い」と経営

「好き嫌い」と経営

 

 

 
 
著者が「好き嫌い」と対比させる形で使っているのが「良い悪い」という言葉。感情を抜きにして、「これは良いことだ」という場合、そこにある判断の根拠は論理。論理には多少のバリエーションこそあれ、特にビジネス上のテーマになると誰が考えても似たような結論になる。同一の市場に身を置き、似通った情報を入手して戦略を考えているような場合、良い悪いだけではプレイヤーはみな似たような結論に到達してしまい他社との差別化ができなくなる、というわけです。
 
それでも、世の中には際立った差別性をもった企業が存在しているわけで、論理に立脚した意思決定というだけでは説明ができない。そこに立ち至る過程の意思決定には、良い悪いではない経営者の「好き嫌い」があるはずだ、というのが著者がインタビュー活動を始めた理由です。
 
経営者が好き嫌いで意思決定しているなどと聞くと何だか眉を潜めたくなりますが、実際のところ経営者も人間。好きな方向に事業が向かっている時の方がやる気も出るし活動的にもなれる。AとBという意思決定のオプションがあった時に、論理をある程度積み上げた上で最終的には好き嫌いを軸に判断をするというのが、その後の実行力という点でも有効なのではないか、というのが僕の実感でもあったので、大いに納得した次第です。
 
一度、虚心坦懐に自分の好き嫌いについて棚卸しをするのが、いいかもしれませんね。
 
 

 圧倒的な行動力が組織を変える

久しぶりに心が震える本でした。先日参加したSalesforce.comのセミナーで前半部分の講師として登壇した営業改革コンサルタント・横山氏の近著です。本のタイトルからすると、自分からはまず手に取らないタイプに見えるこの本、しかしよかった。

絶対達成する部下の育て方――稼ぐチームに一気に変わる新手法「予材管理」

絶対達成する部下の育て方――稼ぐチームに一気に変わる新手法「予材管理」

営業改革というテーマは目新しいものではなく、僕自身も過去の仕事の中でそれに近い内容を顧客に提案したり、研修を設計したことがある領域。この領域を大きく分けると、トップセールス経験者が自身のノウハウを開陳するというタイプの「トップ営業マンの秘密教えます型」と、マーケティングや組織行動論の理論に根差したロジカルな営業マネジメントで成果を狙っていく「戦略的営業型」の二つに分かれるもことが多い。(僕が設計していたのは後者のタイプ)
横山氏の考える改革のあり方は、そのどちらでもない。強いて言えば、営業改革という分野ですらないというのが個人的な感想です。営業ではなく、営業を起点にして組織・企業そのものを変えていくというアプローチだと感じました。キーワードはいたってシンプルで、「圧倒的な行動量」。営業でいえば、とにかく顧客とコンタクトをする回数を増やすというもの。「おいおい、結局ありきたりの根性論じゃないか」とここで止まってはいけない。
PDCAのマネジメントサイクルを素早く回しスピーディーに戦略を軌道修正していく者が勝つという黄金律がありあす。僕もミスミという会社で仕事をしていた頃、とにかくこの「ぐるぐる回し」を速く実行するということを叩き込まれました。問題はP・D・C・Aのどこに力点を置くか。
正直に言えば、僕は「P」に力点を置いた考え方にたった行動をしてきました。ミスミが非常に戦略プランニングを重視する風土であったことが影響していますが、そのうえでビジネススクールで学ぶといった経験を蓄積したため、さらにプランニング重視が磨かれた感じがします。優れたプランニングなくしてDo(実行)を行っても、貴重なリソースを無駄に使うだけに終わる、だからプランの切れ味を増していくことが第一なのだ、と。
もちろん、P(プランニング)が優れていれば後のD(実行)は力を抜いてもいいというわけではありません。ミスミではプランの切れ味と同時に「愚直な実行」を重視していました。ただ、この本を読み終えて今感じているのは、Do(実行)が無駄に終わることを恐れていたり、Do(実行)のボリュームを徹底的に確保することのできる組織力なくして、優れたプランも糞もないんじゃないかということ。言い方を変えれば、Do(実行)のボリュームとそれを支える組織の力がないままにプランニングの切れ味を求めても、結局のところそれは意味がないのではないか、と。
まず、仮に優れたプランができた場合であっても、Do(実行)を圧倒的なパワーで進めていく組織力が育っていなければ意味がない。また、プランを作成していくに際して不可欠な「現場の気づき」「現場感」は行動する中でしか生まれてこないがゆえに、行動なきプランニングには意味がない。2つの「意味がない」に行き当たる。
本書が僕に与えた示唆は、単に「行動がすべて」ということではありません。優れたプランニングが重要であることは変わりがない。ただし、優れたプランの完成を目指す前にすることがある、ということ。それはすなわち、圧倒的な行動量を生み出すパワーを組織に実装すること、そして行動の中から得られた現場の気づき・叡智をプランニングに反映させる風土と仕組みを実装すること。いわば、PDCAではなく、O(組織のパワー)があり、そこからD→C→Aのサイクルをがんがん回す。そして地に足の着いたPを見出していく。O ⇒ D→C→Aサイクル ⇒ P ⇒ D→C→Aという流れです。
本書では、最初のステップにあたるO(組織のパワー)の生み出し方について記されています。営業マネジャーというよりは、むしろ経営者が手に取ってほしい本だと思います。

NHKドラマ「坂の上の雲」

12月に毎週放送されていたNHKのドラマ「坂の上の雲 第二部」の録画を、実家でまとめて観ました。
帝国主義という現代とは異なる価値観が世界を支配するなかで、小国日本とそこに住む日本人がどのようなメンタリティと行動でその道を切り開いて行ったのか、一つの視点が得られる作品です。
テレビ画面に目を注ぎながらも、つい考えてしまうのは現代日本との違いはなんなのだろう?ということ。
経済的な繁栄、安全、健康、経済格差の小さはなど、どれをとっても現代日本は明治期のそれと比較にならないほどの水準に達している。でありながら、「坂の上の雲」に描かれるかつての日本人の清々しい精神のあり様を見ていると、何だか羨ましい気持ちになってしまう。もちろんそれは小説でありドラマだからという面はあるでしょうが、現代が失くしたものの存在を感じさせるような何かが、そこにはある。
結果からみれば、日本という国の独立を守るということ(秋山好古秋山真之)や、日本の短詩に革新を起こすこと(正岡子規)に「坂の上の雲」の登場人物は大きく貢献することになります。しかし彼らはその道程において、高みにある白い雲の存在を強く意識するのではなく、ただ目の前の仕事に打ち込み、あたかも真夏に急な坂を登るように黙々と進んでいく。そうして進んでいくことに、迷いがない。清々しさを感じさせるのは、そんな姿なのではないかと思います。

 ようやく手にした「1Q84」第3巻

別に入手困難だったわけではありません。ただ手に取らないままに数ヶ月を過ごしてしまったということです。先日ようやく書店で購入しました。

1Q84 BOOK 3

1Q84 BOOK 3

半分徹夜のような状況になってでも読み進めてしまった1巻・2巻と比べて、3巻は落ち着いて少しずつ読んでいます。それが内容によるものなのか自分のスケジュール感の変化によるものなのかはわかりませんが、やはり前回ほどの熱を感じないのは事実です。
これは必ずしも作品のせいというのではなく、ストーリーとストーリーとの間に間隔が開きすぎてしまったがゆえに体内の熱が冷めてしまったということではないかと思います。僕個人の体質のようなものですね。昔から、長編の連載小説や月刊誌の漫画などはその「ストーリーの熱」が冷めてしまうことが原因であまり没入することができなかったのを今思い出しました。
時間を見つけて通して読んでみるというのも手かもしれませんが、1Q84はあまりそういうタイプの小説ではないかもしれませんね。怒濤のように駆け抜けて読む小説というのは、やはり繰り返して読むのには向かない、そんな気がします。
Kazuteru Kodera

ポジティブ・サイコロジー

ポジティブ・サイコロジー(肯定心理学)という学問分野がアメリカを中心に注目を集めています。人間にとっての幸福とは何か、幸福になるために人間はどのように生きたら良いのか、物事を考えたらいいのか。そんな研究をするのがポジティブ・サイコロジー
背景にあるのは、物質的な豊かさを目指して経済成長を遂げてきた先進国で広がる「幸福の不在」。ビリオネアと呼ばれる大金持ちになった人たちでも、その幸福感は物質的に貧しい途上国の人たちとほとんど変わらないという調査結果が出ているし、世界で恐らく最も安全で豊かな生活を享受している日本人の自殺率が世界トップ5に入っていたり。
こうした事象を目の前にして「何かがおかしい」と誰しもが感じています。「幸福の不在」をどのように解明し、またどのようにその不在を解消することができるのかを考える学問が、ポジティブ・サイコロジーです。

HAPPIER―幸福も成功も手にするシークレット・メソッド ハーバード大学人気No.1講義

HAPPIER―幸福も成功も手にするシークレット・メソッド ハーバード大学人気No.1講義

このような考え方は、日本に古来からある禅に通じるものがあるのかもしれない、とこの本を読んで感じました。幸福は、お金や豊かな暮らしといった外的な側面よりもむしろ、自らの中にあるもので、それを見いだすことができるか否かは自分自身の生き方や考え方にかかっているのだ、と。
Kazuteru Kodera

専門研究と社会変革の狭間 

ダニエル・ピンク著「モチベーション3.0」を読みました。以前に彼がその著作「ハイ・コンセプト」で解説した、クリエイティビティが求められる21世紀型の仕事。そんな仕事に携わる人間のモチベーションは、従来型のルーティンワークの際に用いられてきた「アメとムチ」式の交換条件付き報酬では高めることはできない。

そこで求められるのは、「自律(Autonomy)」「熟達(Mastery)」「目的(Purpose)」の3つである。相変わらずの明快な筆致で語られて行く現代のモチベーション構造の姿は、自分自身に当てはめて考えてみても頷かされることばかり。これまでビジネスの世界に応用を試みられることの少なかった心理学をはじめとする諸分野の研究成果を見事にまとめ上げ、現実への応用可能な姿にまで昇華してくれている見事な著作でした。

モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか

モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか

ここで僕が考えさせられたのは、「専門研究」と「現実への応用」の狭間に存在する巨大な谷間についてです。その谷間とは一体どういうものでしょうか?

「モチベーション3.0」という本の中には、著者であるダニエル・ピンク氏が自ら実験をしたり、調査研究を自ら行った内容はほとんど出てきません。彼は専門の学者ではないし、このモチベーションというテーマについて考え始めたのもここ2、3年のことだそうです。にも関わらず、この本はビジネス界にある種の衝撃をもって迎えられ、そして恐らく、今後企業の経営者や人事部門の人間がこの本を参考にさまざまな施策を打っていくことになると言われている。どういうことなのでしょうか?

それは、ピンク氏の本が複数の研究者の手によってなされたいくつもの専門的研究の成果を整理・統合し、現実に応用できる形でまとめあげ、それを分かりやすい実験結果や事例を示しながら実に明快に発信をしたからです。大学などの研究機関で行われている専門的な調査研究と、実際の世界(経済や政治、社会)への適用というプロセスの間に存在する溝を、見事に埋めてみせたのです。そして、社会にある種の変革を起こそうとしている。

専門的な研究を行う研究者は、つい自身の専門領域のみに視野狭窄状態で取り組み、その学問領域を「深めて」いくことに集中しがちです。また、大学の縦割り社会の中で、学問領域をまたいで水平的に研究成果を統合していくという動きはとりにくいとも言われます。

「モチベーション3.0」は、まさにそうした状況が第三者の、明快な思考と大きな視野の持ち主によって打破されうるという事例を示したものです。僕自身も、そのような存在になっていきたい、そう考えさせられた一冊でした。

Kazuteru Kodera

本の中の匂いと記憶 カンバセイション ピース

保坂和志の小説「カンバセイション ピース」を読み始めました。最近の読書時間は寝る前の約30分。時には眠い目をこすりながら。

カンバセイション・ピース (新潮文庫)

カンバセイション・ピース (新潮文庫)

ゼミ同窓生のきみちゃんに、「ハラハラとかしなくていい。何だか訳がわからないけれど何となく腑に落ちる、そんな小説を」という不思議なリクエストをして推薦してもらった何冊かのうちの一冊です。

一軒の古い家を舞台にそこに住む人、住んでいた人、そして猫。そんな登場人物たちが何ということもない日常を送って行きます。ただそれだけの話。まだ半分くらいしか読んでいませんが、最後までこんな感じなんだろうなという確信があります。

ストーリーは、ない。ただ、積み重ねられていく文章表現によって、いつの間にかその古い家の匂いが漂ってくる。登場人物たちの会話が聞こえてくる。顔が浮かんでくる。そして時折、自分自身の記憶と交じり合ってかすかな感慨を呼び起こす。そんな小説です。

物語というのは、こんな形で読み手の心の中に小さな石を投げ込んで、それが呼び起こす波紋が読み手を揺さぶるなんてことがあります。物語そのものではなく、物語によって喚起された読み手の個人的記憶が心を揺らす。物語の書き手は想定もしていない心理状態が、いつの間にかもたらされている。不思議なものです。

読書は個人的な経験だ、というのは僕の考えだけれど、このカンバセイション ピースという小説はまさにそんな読書を提供してくれています。

Kazuteru Kodera