天ぷらスガキヤ 天丼390円の衝撃はなぜ可能なのか

名古屋にゆかりのある人であれば必ず知っている飲食チェーン「スガキヤ」。主力はラーメン店ですが、運営会社である「スガキヤシステムズ」はうどん店も出しており事業の多角化も行なっています。

そんなスガキヤが6月に新しくオープンしたのが「天ぷらスガキヤ」。ラーメン・うどんから天ぷらへ、という展開は、うどん店で天ぷらを提供しているようなので「なるほど」と言えなくもありませんが、やはりちょっと「?」。

とは言えスガキヤといえば独特なスープが美味しいラーメンを320円で提供する名古屋民の強い味方、ぜひ体験してみようと昨日のお昼に行ってきました。

店内の様子やメニュー、注文から先の流れはこちらの記事が詳しく説明してくれています。

セルフで天丼?「天ぷらスガキヤ」新タイプの天ぷら専門店が名古屋・大須に6月19日オープン! | おいしいなごや

天ぷらチェーンといえば「天や」が海外数店舗を含めて日本国内全域に展開している大手ですが、最もお手頃価格のメニューが「天丼」540円。天ぷらスガキヤのメニューでは相当品と言える「天丼」が550円なので、新業態をスタートするにあたって価格は大手に合わせていることがうかがえます。材料調達の物量の違いや配送コストなどを考慮するとスガキヤ頑張っています。

さらに、看板メニューとして打ち出している「とり天丼」が390円。これは驚きの価格です。揚げたての天ぷらを店内に座って食べて300円台というのは、ラーメン320円のスガキヤの意地を感じさせる価格設定。さすが名古屋民の味方。でも、本当に儲かるのか?大丈夫かスガキヤ

そんな価格設定を実現するための手法とは一体何なのか。興味があったので店内をキョロキョロと見回していました。答えは、簡単にいえば「省人化」への強いこだわり。上記の記事で紹介されている通り、注文はタッチパネル、お盆と空のお椀を受け取って味噌汁・ご飯も自動機でセルフサービス。ボタンを押して白米がウィーン・ボコ!とお椀に盛られるのはなかなかシュールです。

店員が担当するのは調理・会計・食器洗浄・店内管理(片付け・清掃等)ですが、それも兼務体制が工夫され、最低3名でオペレーション可能な設計になっていました。レジ担当が座っているのは回転椅子で、後ろを振り返ると食器の返却口、左を向くと食洗機が配置されており、レジ作業をしていない時には「くるり!」と椅子を回転させて食器洗浄ができてしまうというレイアウトには驚きました。(実際にレジの担当者はくるくると回りながらレジ→返却口→食洗機と作業をしていました)

私が1年の半分を過ごすタイでは、飲食店にはびっくりするほど店員がいます。5人くらいが横一列に並んでぼーっと客を眺めている、なんてことが日常風景として定着してしまうくらいなので、この天ぷらスガキヤの仕組みを導入したら大量の失業者が出てしまいますね。

人手不足・人件費高騰の中での厳しい価格競争という、日本の飲食店が置かれたシビアな事業環境を思い知らされる、興味深い経験でした。

 

 

ZOZOの「お任せ宅配便」 は誰にとっての救世主なのか

ZOZOTOWNが今年から始めた新しいサービス「お任せ宅配便」を3月に利用開始し、3月・6月と2回の宅配便を経験しました。

利用登録をすると、配送頻度(毎月・3ヶ月・6ヶ月など)・服の好み・タイプごとの予算(Tシャツの予算上限は〇〇円まで、など)・自分の体型(部位ごとのサイズを測って結果を入力。話題になったZOZOスーツを利用すればそこからのデータを参照)。最後に任意で自分の写真データをアップロード(スタイリストがイメージしやすいように、とのこと)して完了。あとは箱詰めされた宅配便が届くのを待つだけ。

面白かったのは、服の好みの入力方法でした。服のタイプごとに選択式で好みを入力するのですが、「好き」という積極的な選択ではなく「嫌い・入れて欲しくない」という消極的な選択をさせられるのです。

これは、特に服装に強い関心がなく、「ボートネック」と言われても「?」となってしまう私のようなレベルの消費者には最適。正直なところ、選択肢として並べられているボトムス(まあ、ズボンですね)の種類の名称を見てもほとんどピンと来ませんから、「ミリタリー」といった明らかに自分の趣味に合わないものだけ排除して、あとは「届いてから考えよう」となります。

購入する洋服の選択を「お任せ」してしまいたいと考える消費者がターゲットなのですから、強いこだわりを持っているはずはありません。こだわりがないということは当然に知識もないわけで、そこにアパレルの専門用語を並べて「好きなものを選べ」は無理があります。だからこその消極的な選択。これはとてもいいアイデアだと感じました。

さて、 実際に届いてみてどうだったのか。3月の配送では、6点(トップス2点、ボトムス2点、靴1点、カバン1点)のうち2点を購入。6月は、同じく6点(トップス2点、ボトムス3点、靴1点)のうち5点購入、となりました。返品の際には理由も選択式で入力する(予算が合わない、色が趣味に合わない、など)ので、だんだんと精度が上がってくるような仕組みにもなっているのがいいですね。

それに、宅配便の箱の中には(ウェブ上のマイページにも)それぞれのアイテムの写真付きの説明と、同じく写真付きで組み合わせ・コーディネート例とその説明が添えられています。どう組み合わせて着たらいいのかも皆目わからん、という全くセンスに自信のない人でも、とりあえず写真通りに着ておけばOK、という気楽さも素晴らしい。

このサービスを利用して購入した洋服は自分にとってどんな存在なのか。簡単にいうと、「自分で店に行ったら多分選ばないであろうデザイン・価格帯でありながら、かといって”これは無理!”とはならないレベルのやや冒険的な選択」。妻の反応も聞きながら決めていることもありますが、「少し自分のイメージを変えてみたいが、驚かれるような変化はしたくない」という誰しもが持つ健全な変身願望に応えてくれるように思います。また、上記のように「嫌いなもの」を外しただけなので、普段の自分からはちょっと想像できないデザインのアイテムが含まれていることもあり、いい意味で新しい自分の好みを発見することにも繋がります。

まとめると、「お任せ宅配便」のサービスが直球で決まるのは、こんな人なのではないかと思います。

  • 「おしゃれ」とまで言われたいとは思わないが、それなりに流行を意識した「ダサくない」格好をしていたい。
  • 店に行って洋服を選ぶのが苦手で、ついこれまで着ていたのと同じような保守的な選択をしてしまう。
  • 店員との会話が気恥ずかしく、オススメされる「少し冒険的」な洋服を素直に購入できない。

案外こういう人って多いのではないでしょうか。

もちろん、上記には当てはまらないけれど(店に行って前向きに選べる人、なと)、とにかく出かける時間がない(仕事が忙しい、子育て中で一人でゆっくり買い物に出かけられない、など)という人も十分に満足できるのではないかと思います。

ZOZOを運営するスタートトゥデイのミッション「世界中をカッコよく、世界中に笑顔を」に見事に繋がる素晴らしいサービスです。

 

「カエルの子はカエル」なら、親ガエルは子ガエルに何ができるのか

タイトルが「AI時代の子育て戦略」となっている本書。巷では「AIが普及してもなくならない仕事は何か?」という議論が盛んに行われていますから、 「AI時代に生き残れる職業ガイド(および子供をその職業に就かせるための指南書)」のような感覚で手に取る人も多いかもしレません。しかし、読んでみると「AI」や「AIの影響」そのものに焦点を当てた子育て論ではないことがわかります。

AI時代の子育て戦略 (SB新書)

AI時代の子育て戦略 (SB新書)

 

本書が前提とするのはまず「カエルの子はカエル」。すなわち人間の持つ能力はその多くが親からの遺伝であるということ。そして、次に「好きこそ物の上手なれ」。すなわち好きなことなら時間を投じてのめり込めるから自然と上達するということ。

受験勉強も、ある程度の素質を持ち合わせた上で、勉強にのめり込めた子どもが勝っているのがわかる。東大に合格した人たちの勉強法をよく見てみると、ほとんどの人が勉強を楽しんでいる。ロールプレイングゲームのように、遊び感覚でやっているうちに成績が向上したという話を頻繁に耳にする。  一時期『東大合格生のノートはかならず美しい』(太田あや著、文藝春秋)という本が話題となった。掲載されているノートは、それぞれ工夫が凝らされている。のめり込む能力があったからこそ、そこまでノート作りを追究できたわけだ。  彼らは、才能を持ち合わせ、たまたま受験にのめり込めたから、東大に進学する道を選んだ

すでに様々な研究で科学的にも証明されているこの「素質は親から遺伝する」と「のめり込んだら上達する」の2つの原則を踏まえて、親はどのように子供に接して行くべきなのかが説かれていきます。

言うまでもなく「素質のあること」x「好きでのめり込めること」の掛け算の答えを見つけなさいということになるわけですが、そこに至るまでの具体的なテクニックや連れて行くべき場所までが紹介されている点は著者ならでは。

また、遺伝の影響が大きい領域については素質の有無を早めに見極めてばっさり切り捨てることも必要、と切れ味がいいのも痛快です。

コミュニケーションについてはもともとの能力差が大きすぎるため、才能がない人がそこそこ能力を高めたところで焼け石に水という気がする。  言葉に関する才能は、音楽や美術の才能と一緒で、勉強したからといって身につくものではない。売れている小説家の大多数は、カルチャーセンターの小説教室などに通わずとも売れる小説を書いている。

親である自分の得意なこと、得意だったことは何なのか。自分を振り返ってみるいい機会になるとともに、子供たちの「のめり込む瞬間」を見逃すことのないよう丁寧な眼差しで子育てをしていこうと思わせてくれる一冊でした。

 

 

 

 

社長はなぜ運転手付きの車で移動するのか その3 経営者は何をする人ぞ

「経営者は経営しなくてはならない」というのは、ファーストリテイリングユニクロ)の柳井正社長が座右の書にあげたことで有名になった「プロフェッショナル・マネジャー」の一節です。

プロフェッショナルマネジャー

プロフェッショナルマネジャー

 

(この本、随分と以前に読んだのですが、この一節が鮮明に記憶に残った一方で、その他の部分は今ひとつ印象に残っていません。近いうちに再読してみようと思います。 )

社長はなぜ運転手付きの車で移動するのか?という問いに対する一つの答えが、この一節「経営者は経営しなくてはいけないから」だというのが今回のテーマです。権威を持った存在であるべきだから、でもなく、安全上の理由からでもなく、かといって日本でよく言われる「偉いから」でもなく。経営しなくてはいけないから、運転手付きの車なのだ、と。

数年前、ある中堅企業の若きオーナー社長と食事をしていたときのこと、彼の言った言葉がとても印象的でした。30代にしてお父様から複数企業からなるグループの経営を引き継いだ彼は、頭の切れもよくハンサムで、大胆な経営戦略を打ち出して活動的に飛び回っており、誰もが憧れる「若社長」のイメージにぴったりでした。そんな彼が、

社長なんて早くになるもんじゃないですよ。社長になってしまったら、時間とともにどんどん自分が磨り減っていく。10年もやったら、きっと心身ともにボロボロになってしまいます。

もし今のポジションで(あなたが)ある程度自由にやりたい仕事をできているのなら、社長になんて早くになるべきじゃないです。

企業のトップとして「経営をする」生活を続けることがいかにタフなのか、彼のような溌剌とした人物の口から出た言葉だけに、重く響いたことを覚えています。

 経営者が「社長の椅子」という御輿に物理的に乗っているだけではなく、本当の意味で「経営をする」となれば、要求されるのは何よりも認知資源(脳のリソース)と行動力を支える体力です。行動してアイデアを得て、集中して考えて、コミュニケーションによって意思を伝達し、他者を行動の渦に巻き込んでいく。その過程で消費される認知的・身体的なエネルギーは膨大なものになるでしょう。

そこで求められるのは、「そうした有限の資源を、どのように効率的に使うのか」の工夫です。かの若社長が言った「磨り減っていく」過酷な状況を、いかに少ない消耗で乗り越えていくのか。明晰な判断と活発な行動を損なうことなく持続するにはどうしたらいいのか。

一つの答えが、「経営をする」こと以外には認知的・身体的資源を可能な限り使わないという「捨てる」発想です。

  • 他人でもできる車の運転は運転手に任せる(運転は認知的資源をかなり使います)
  • 周囲への気遣いが必要な混んだ電車での移動や過剰な徒歩移動を避けるため、電車ではなく車・タクシーで移動する
  • 長時間のフライトはしっかりと眠れるビジネスクラス以上の座席を利用する (睡眠不足の翌日は、酒に酔っているのと同じ程度に認知能力が低下すると言われています)
  • 食中毒の危険を避けるため、(海外では特に)衛生状態の良くない安価な店では食事をしない

極端な例の一つは、Facebook創業者のマーク・ザッカーバーグ。彼は毎朝着る服を選ぶという認知的資源をセーブするために同じTシャツしか着ない、そのための同じデザインのシャツを大量に持っているというのは有名な話です。

 おそらく、「社長は運転手つきの車で」というのはこのような背景から定着した考え方なのだと思います。ただそれがいつの間にか「当たり前」「常識」になってしまい、経営をしていない「なんちゃって経営者」までもが理由を考えることもなく「社長なんだから」と地位に甘え、「楽チンだ」と後部座席でふんぞり返っている、という事例も多々あるのではないかと推察します。

 経営者は、経営しなくてはならない。

 

 

 

 

社長はなぜ運転手付きの車で移動するのか その2 日本の「よき経営者」

前回の記事は、「階層主義的な文化の下では、組織の幹部は権威ある存在でなくてはならないから、相応の車(運転手付きであることも含めて)に乗ることを求められる」という話でした。

もう一つ別の視点として議論になりそうなのが、「経営者とは、かくあるべし」という経営者論(?)とでも言うべきもの。今日はそちらの話です。

日本では、大企業のトップや創業者が「フツーの人」であることが喜ばれます。ユニクロの服を着ていたり、牛丼チェーンでランチをしていたり、飛行機の座席がエコノミークラスだったり。

中でもテレビなどでよく紹介されるのが「電車通勤」。満員電車に新聞片手に乗って、ラッシュ時間帯に出社して来る、という様子が、偉ぶらず、常に社員と同じ目線で考える愛すべき経営者の姿として紹介されるのを何度も見たことがあります。

逆に、長距離の移動はいつもプライベートジェット、運転手つきのリムジンで通勤していて宿泊はいつもスイートルーム、というような経営者が前向きに紹介されることはほとんどありません。民放テレビ番組で面白おかしく紹介される、あるいは羨望と嫉妬混じりに紹介されるのが関の山でしょう。

こうしたテレビ等での取り上げられ方からすると、ここには明確に「よき経営者の姿」という型があるようです。前者はそれに該当し、後者はそうではないという価値基準が日本社会に広く共有されている(一応テレビは日本人の広範の人が見ているという想定で)。

前回紹介した異文化理解の観点では、日本は「階層主義的」な文化に分類されています。ただし、こと経営者・組織のトップに関しては例外のようで、庶民的な姿が愛される。これは意外です。

敗戦によって社会上層部・指導者層への信頼が一挙に崩れ落ちたこともあるでしょう。戦前は「華族」はもとより「旧士族」も含めて士農工商から引き継がれた社会階層が色濃く残っていはずです。それらが、敗戦という大ショックによって吹き飛んだ。結果として、文化的には「階層主義的」なものを根底に残しつつ、表面的には「平等主義的」要素が取り込まれていったと見ることができるように思います。

もしかしたら水戸黄門暴れん坊将軍などの人気時代劇も、そうした新しい価値観の刷り込みとして「庶民派の偉い人」というリーダー像を作り上げたのかもしれません。

こうした社会的なある種の要請を踏まえてか、企業幹部が運転手つきの車に乗るのは「安全上の理由」とされることが多いようです。プロの運転手に任せた方が危険が少ない、万一の事故の際に会社の責任問題になりにくい、ということでしょう。だから別に偉ぶってるわけではなく、仕方ないんだよ、と。しかし、であれば休日も含めて本人の運転は禁止しなくてはいけませんが、そういう話は聞きません。どこか、本質的な意味を取り違えているような気がします。これについては、次回書いてみたいと思います。

 

 

 

 

社長はなぜ運転手付きの車で移動するのか その1 異文化視点から

最近、タイの会社で面白い事件(?)がありました。社用車としてリースしている車がリース期限を迎えて新しい車に買い替え(リース)ることに。そこで発生したのが「異文化間の壁」を感じさせる騒動でした。

その車は日本人駐在員のゼネラル・マネジャー(GM)が通勤に使うとともに、日中は営業マンを始めとするスタッフが外出に使用するのですが、同GMは片道2時間以上という遠方からの通勤。彼は腰痛持ちということもあり「後部座席がリクライニングのできるタイプがいい」との要望がありました。

後部座席が可動式になっているのは主にハッチバックタイプやSUVなので、私は予算の範囲内で中型クラスのハッチバック車がいいのでは?とタイ人の総務担当にアドバイスしたのですが、そこで想定していなかった反応がありました。彼女は猛然と反論したのです。「GMはこんな車に乗るべきではないです!」

私は思わず「?」となりました。上場会社の社長というならいざ知らず、まだ立ち上がって5年弱の中小企業である我々が、車の「格」にこだわってどうするのか、と。その旨を笑いながら説明しても、やはり彼女は真顔で「No」と言います。どうやらここはきちんと話をした方が良さそうです。

反対する理由を具体的に説明してほしい、と言うと彼女は厳しい顔つきでこう言いました。

「彼(日本人GM)は会社の幹部としてお客さんやサプライヤーさんを訪問します。その時に乗っている車がこれでは、会社として恥ずかしい。私たちも恥ずかしい。ハイレベルな人はハイレベルな車に乗るべきです。」

ここでふと、先日ここで紹介した「異文化理解力」で紹介されていた事例を思い出しました。自転車で通勤するオランダ人マネジャーに対して、ロシア人の部下が「恥ずかしいからやめてくれ」という話。ロシアを含むいくつかの文化においては、組織の上層部は権威ある存在であるべきで、それを組織のメンバーもまた誇りに感じる。逆にその権威が傷つけられた時、メンバーは自らの誇りを傷つけられたように感じる、というもの。

上記の事例で言えば、彼女にとって会社は(小さかろうが新しかろうが)プライドを持って仕事をしている場所であり、その組織の幹部には権威を持って外部と接触してほしい。誰に見られても恥ずかしくない車に乗ってほしい。当然それは運転手付きでなくてはいけない。それが社員にとっても誇らしいことだから。

タイは、国王・王家を筆頭とする厳しいヒエラルキーで社会が構成されています。明確な区分こそないものの、身分格差は非常に大きく、そしてそれを国民が受け入れている文化。上層部の人間は、権威を持つと共に慈愛の心を持ち、下層の人間を思いやり、優しく、時に厳しく導いていく存在であるべき。だからこそ、組織の階層に対する認識も厳格です。異文化理解力の視点で言えば、「階層主義的」な文化(対する概念は「平等主義的文化」)に該当するのでしょう。

オチとして、結局当社の駐在員GMは、腰痛を抱えたままセダンタイプの車を充てがわれることになった、というわけです。こんな日常の事例からも異文化マネジメントの面白さ(?)が垣間見えるというのが、海外での仕事の醍醐味ですね。

 

異文化理解力――相手と自分の真意がわかる ビジネスパーソン必須の教養

異文化理解力――相手と自分の真意がわかる ビジネスパーソン必須の教養

 

 

 

 

 

 

 

タイ人はどうして遅刻してくるのか

少し前に読んだ本ですが、とても多くの「なるほど」が得られた一冊にこちらがあります。

異文化理解力――相手と自分の真意がわかる ビジネスパーソン必須の教養

異文化理解力――相手と自分の真意がわかる ビジネスパーソン必須の教養

 

 ビジネスパーソン必須の教養 と日本語サブタイトルがついていますが、海外で仕事をする、あるいは外国人と接して仕事をする機会のある人には、自分とは異なる文化的バックグラウンドを持つ人がどのように感じ考えるのかを理解する上で、多くの示唆を提供してくれます。

自分自身がタイや中国での仕事をしている中で感じてきたこと、疑問だったことのいくつかに答えが得られただけではなく、今後出会うであろうその他の文化圏の人々との仕事を想定する上で、どのようなスタンスや準備で臨んだらより効果的なのかということをシミュレートする意味でも有用でした。

例えば時間感覚について。以下の引用は少し極端な事例だけれど、中長期の計画を守って物事を進めることを重視するドイツ人に対してナイジェリアの人々がどう感じるか?の事例。

ドイツ人たちは、ナイジェリアでは物事がつねに変わっていくことを理解していない。三カ月先のミーティングの予定を今日立てられないのは、この先何が変わるかわからないからだ。私はナイジェリアのイスラム教地区の出身だが、そこでは最高指導者が月を見て今日から祝日だと言うまで、いつ祝日になるかわからない。いつ祝日になるかわからないのに、二カ月と七日先に自分が電話を取れるかどうかなんてわかるわけないだろう?

 当地タイでの仕事においても、タイの人々が時間にややルーズであったり、ミーティングの時間を「だいたいこの辺りの時刻にやる」くらいの理解しかしないことに苛立つ日本人は多い。実はこれも、突然のスコールや洪水、大渋滞で思い通りに物事が運ばないことが日常的であるタイで、その自然環境や歴史を通じて培われた文化。「Mai pen rai(マイペンライ)」(大した事じゃない、とかNo problem、といった意味のタイ語)という言葉を頻繁に使う彼らは、時間感覚が曖昧で、他人のルーズさにも寛容です。いつ何が起こるかわからないのだから、きっちり細かい計画を作っても仕方がないさ、と。

 本書でも説かれていることですが、こうした文化的な背景からくる非効率を相互の信頼関係を壊さない形で乗り越えていく方法が「言語化してルール化する」ということです。

「私とあなたの時間に対する感覚は違う。その違いを理解した上で、お互いにルールを決めよう」というわけですね。私も工場のメンバーには「工場の生産は1秒でも多く機械を稼働させることが利益になる。だから、始業開始のチャイムが鳴ってから作業場に移動するのではなく、チャイムと同時に作業が開始できるようにしよう。それが利益につながり、待遇改善にもつながるんだから。いいね、これをルールにしてお互いに守ろう。」と話していますが、これも「言語化・ルール化」の事例。

ここでやってはいけないのは、「時間くらい守れ、そんなのは当たり前だろう」という態度。確かに日本の社会では「時間を守るのは当たり前」ですが、それが当たり前ではない文化も世界にはたくさんあるんですよね。タイ人の日本人マネジャーに対するよくある不満は、「少し時間に遅れたくらいで怒って不機嫌になる」というもの。言語化・ルール化をする前の段階で、自分の文化基準でジャッジをするのはやめましょう、ということです。

本書では、上記のような時間感覚についてだけではなく、評価のフィードバックの仕方、ハイコンテクスト・ローコンテクスト文化におけるコミュニケーションの仕方など、異文化の組織環境で仕事をする人に有用なフレームワークと事例が豊富に紹介されていきます。ただフレームワークで紋切り型の当てはめをしていくだけではなく、臨場感のあるケースとともに説得力のある議論が展開していきますので、楽しみながら読むことができるのもいい。オススメの一冊です。