タイの会社イベントに学ぶ組織活性化のヒント

タイの会社における一年でも最大級の社内イベントは、クリスマスシーズンに行われるニューイヤーパーティーです。厳密にはまだニューイヤーではない時期に開かれるのですが、一般的にニューイヤーパーティーと呼ばれ、全員参加のイベントとして定着しています。

内容は様々なようですが、共通する特徴として、すべてが社員自身による企画と運営で行われること、お揃いのTシャツを作るなど「団結」を表現するケースが多いこと、スポーツを絡めたアクティビティが含まれることなどがあるようです。

今年は当社が本格的に稼働して会社らしくなって最初の年末ということで、ニューイヤーパーティーに向けて会社内は異様な盛り上がりを見せています。「おいおい、会社のイベントでしょ?そんなの盛り上がらないでしょ?」というのは日本の常識。タイでは日程を決めて発表した瞬間から、リーダー(自然発生的に仕切る人が出てくる)を中心に企画運営チームが組織され、イベントのコンセプト、Tシャツのデザイン、チームビルディングのためのスポーツイベント企画、パーティーの場所選定と福引きなどのイベント企画、メニュー選定などなど、あらゆるタスクが一気に進められていきます。その姿は、日頃のんびりと仕事をしているメンバーとは思えない統率とスピード感。ああ、タイの人は楽しむことに貪欲、そしてエンジョイすることが得意なんだなあ、と改めて感じます

何よりも、そうしたイベント企画と実行に際しては、組織の壁などなく全員がひとつになって取り組んでいるという点が印象的。企画運営の過程で、部署の壁がなくなっていき、新しいメンバーも自然にチームに溶け込んでいく。イベントの当日だけでなく、その準備の過程が一つのチームビルディングの場になっている。まだ生まれたばかりの当社にとっては、そうした機会は何よりも大切です。
Tシャツの背中に記されたイベントのコンセプト、嬉しくなりました。「We work together, We are one team.」

仕事を抜け出してイベント会場の下見に行ってしまうなどちょっと目に余るところもあるけれど、組織活性化のプロセスだと思えばそれもまたよし。当日が楽しみです。


出城を守っていたら本丸が焼け落ちて・・・

今回の日本での滞在は、主に「本丸」であるところの日本本社の将来に向けた活動という位置づけでした。新しいマーケティング施策の準備、組織強化提案、人材の採用 などに関する活動を集中的に行いました。

タイ事業もまだ軌道に乗ってもいないというのに、その前線を離れて本丸を強化するというのは一見奇異に見えるかもしれません。前線に置かれた出城を放ったらかして、本丸の塀やら石垣やらを強化しようとしているのですから。しかし、海外という「競争の最前線」で戦況と敵情を知れば知るほど、日本という本丸の事業脆弱性を一日も早く何とかしなくてはならないという強烈な危機感に襲われるのです。それが、今回のような出張という形で、また来年からは日本滞在の比率を大幅にUPさせるという形で行動しつつある理由です。

出城が出城として機能して有効に戦を進めていくには、本丸と複数の出城との連携・ネットワークが欠かせません。出城で得られた情報は逐一本丸に伝えられ、対局的な視点でネットワーク全体を生かした作戦が作られ、徹底して実行される。逆もまたしかりで、本丸で得られた大局的な情報や判断はシームレスに出城に伝えられ、現場レベルでの意思決定に反映されなくてはならない。ネットワークのハブに位置するのは本丸で、そこには優れた人材とノウハウと、大きな絵に基づく意思決定機関とが存在しなくてはなりません。

最前線である出城にももちろん有能な指揮官は必要ですが、そこに戦力と資源が集中されていると、どうしても局地戦での視野に引っ張られて偏った意思決定と行動がとられてしまいます。事件は確かに現場で起きているのですが、複数の現場の状況を把握して最適な資源の配分と意思決定をするには、やはり会議室に置かれた参謀本部が必要。出城が本丸に指示したり動かしたりというのは望ましくない。これが僕の考えです。

今僕の目に映っているのは、そんな重要な本丸がハードとソフト両面での研鑽を怠った結果、石垣は崩れかけ、堀は埋まり、武将の士気は失われつつあるという情景です。このままでは、「出城を守っていたら、いつの間にか本丸が焼け落ちていた」という状況になりかねない、そんな危機感が強く僕を支配しています。

クリスマスの頃には、また日本にやってきます。プライベートの重要イベントも控えており、次回の滞在は長期にわたる予定です。本丸の改修工事も、より具体的なフェーズへと進展させていくつもりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

またデバイスを増やしてしまった

つい最近、6インチサイズのスマートフォンを新たに購入しました。でも実はこれ、携帯電話としては使っていません。携帯は従来通りiPhone。用途はもっぱら、小型のタブレットとして。

タイで仕事をしていると、とても車の移動が多くなります。まず会社までの通勤に往復2時間。日中に出かけることがあれば、場所にもよりますが往復2時間と言うのはよくあること。そうなると、車内でどう時間を使うかが問題になります。電車や車での移動中は寝ている、という人もいますが、1日4時間以上も車で寝てしまってはなんとももったいないことになります。
そこで、やはりスマートフォンやPCを使って仕事や読書などをしようと言うことになる。メールをチェックしたり、新聞を読んだり、雑誌を読んだり。

僕も色々と試したのですが、まず候補から外れたのはPCによる仕事。タイの道路の路面はとてもでこぼこしているので、とてもノートPCを覗き込んで仕事をできるような環境ではない。もちろんできなくはありませんが、短時間で激しく目が疲労します。となると、当時携帯していたiPhoneでということになった。ところがこれも問題がある。iPhoneの4インチサイズのディスプレイでは、視野が狭すぎてやはりすぐに疲れてしまう。何か他の方法はないか??と行き着いたのが、ファブレットと呼ばれる小型のタブレットまたは大型のスマートフォンでした。

それならiPadでも良いのでは?と言う考えもあると思いますが、iPadはそれなりに重い。ノートPCを突っ込んだカバンにさらにiPadと言う選択は、なかなかできません。
結果的に、車の中での移動時間や会社内をウロウロ歩いているときには6インチのファブレットをポケットに入れて持ち歩き、iPadはもっぱら自宅での新聞や雑誌の購読に使うようになりました。部屋の中にいる時も、ベッドに寝転んでいる時などは6インチのほうが都合が良く、徐々にiPadの出番が減っています。
事実上の携帯二台持ち、となったわけですが、思わぬメリットも。購入後1年以上が経ってバッテリーが弱ってきたiPhoneが、もっぱら電話とメッセージアプリ用になったことで、丸一日充電なしでも過ごせるようになりました。携帯の電池残量を気にせずに生活することができて、少しストレスが減った気がします。

こちらが今回購入した機種。新興国向けモデルということで、日本では売られていません。スペックはフラグシップモデルよりも劣りますが、僕のような使い方であれば全く不便を感じる事はありません。価格もかなり抑えられていて、満足です。

「家族の存在を頭から消す」 ビジネストラベラーの悲しみ

今朝、朝食をとりながら読んでいたFinancial Timesの「Business Life」欄。このコーナーは仕事と生き方といったテーマを取り上げた中くらいの長さのコラム風記事が多くて、読みやすく気に入っているのですが、とても目を引く記事がありました。

数週間に及ぶような長期出張を毎月のようにこなすビジネスパーソンにとっての仕事と家庭を取り上げたもので、その中には二人の子どもを持つ母親が登場します。彼女は、「出張で子どもたちと離れるのは本当に辛い。その辛さを忘れる一番効果的な方法は、出張中は家族の存在を忘れることです」とコメントしているんです。多くの人はこれを読んで「忘れる?ありえない」と思うかもしれません。でも、僕がこの記事でもっとも共感したのはこの部分なんです。ああ、自分もそうだな、と。

出張先(彼女は1か月のうち3週間は出張先にいるとのことなので、もはやどちらが出張先なのかわかりませんが、家のある土地以外の場所という意味で) にいるときは、とにかくプロとして仕事に集中し、自分に夫や子どもがいることなど忘れて没頭する。これが、家族と離れて旅から旅を繰り返すビジネスパーソンにとっての寂しさへの最良の薬だというのです。僕自身も、家族とFacetimeで話をする時間以外は、あまり家族のことを思わないように無意識に心がけている部分があったと思います。寂しいことですが、寂しさに負けないための手段として受け入れてしまう話でもあります。

そこから先、コラムは一歩進んで、「グローバル経済が進行する中で、出張は避けられない。では、どうしたらいいのか?」と展開していきます。いくつか興味深い考え方も紹介されており、自分も実践しよう、と思っています。

なるほど、と思わされたのは、特に子どもの心がどう影響を受けるのか?について。もちろん、片方の親が不在になることは子どもに寂しさと怒りをもたらすのだけれど、もっともひどく子どもの心を傷つけるのは、不在であることによって両親の仲が悪くなることなのだそうです。夫や妻と不仲になったビジネスパーソンは、家庭から遠ざかる口実のために意図的に出張を増やすのだとか。

仕事の充実と家庭の充実、永遠のテーマではありますが、粘り強く両立させるための工夫をしていきたいです。

 

 

我慢強い人に支えられた組織は成長しない

タイで組織運営をしていく中で驚くこと、学ぶことはいくつもあるのですが、その一つに「我慢強い人に支えられた組織を作ってはいけない」という気づきがありました。組織としての不具合を社員が我慢することで運営されている組織は、中長期的に成長していくことは難しいのではないか、ということです。

なぜこんなことを気づいたのかというと、タイ人スタッフのおかげです。タイ人と日本人では「仕事」というものに対する価値づけ・優先順位がずいぶんと違っていて、彼らの人生における仕事の重要度というのは4位とか5位とか、そんなランキングになっているような気がします(もちろん個人差はありますが…)。そのため、仕事におけるストレス耐性はそれほど高くない。無理をして頑張ったり、嫌なこと辛いことを我慢してまで職場における評価を維持したいとか、上司に評価されたいとか、そういう感覚は薄いのです。もちろんそれは、怠けているとかサボっているという意味ではありません。各自の持っている「ここまで」というラインがあって、それを超えたところまで「頑張った」りはしないということです。

 
その結果どうなるかというと、組織運営のまずさからくる過剰な負荷とか、業務フロー上の非効率とか、そういったものに対して明確な「NO」が現場から発信されてきます。「このタスクが期限通りに終わりそうにありません。仕事の全体量が多すぎます。」とか、「サプライヤーへの発注が遅くなるのは、仕事の進め方のルールに問題があるからです。」といった具合です。
僕は当初、こうした「NO」の発信に少し驚きましたが、同時に感謝の気持ちを持ちました。スタッフ一人ひとりの仕事量の状況や、社内組織内・組織間の業務プロセスの機能状況など、現場レベルで詳細にモニタリングして機能不全になっていないかチェックするのはなかなか難しいもの。それを当事者であるスタッフ陣からの発信という形で問題提起をしてもらえれば、運営者としての行動はシンプルです。情報を集めて事実を確認し、問題が本当にあるのなら解決策を実行する。提起された問題が解決されれば、スタッフはまたニコニコと楽しそうに仕事をしてくれます。
そのことに気づいてから、スタッフが深刻そうな顔をして「I have an issue for you to consider....(ちょっと考えていただきたいことがあるのですが…」と言ってやってくるのをポジティブな気持ちで迎えることができるようになりました。それがどんなに頭の痛い問題であっても、問題の存在に気づかないままでいることの恐ろしさと比べたら、何ということはありません。
 
一方、日本の組織に多くみられる(当社本社も含めて)のは、「おかしいとみんな感じているけど、今まで通りやっている」という状況でしょう。特定の誰かが我慢して残業したり、非効率なことをわかっていながら黙々と業務をこなしていたり。理解に苦しむ状況がそこらじゅうで発生しています。根底にあるのは、頑張ること・我慢することを過剰に推奨し評価する風土だと思います。恵まれない環境(非効率な業務システムや組織リソースの配分不全など)に耐えて頑張ることが美しい、という、苦労礼賛とでもいう風習が、日本の組織には蔓延しているんですね。結果としての長時間労働が問題になったりしていますが、どれだけ「残業禁止!」と言ってみたところで、この苦労礼賛の文化を払しょくしないことには、状況は変わらないでしょう。
社員の我慢と頑張りに支えられた組織の弱さは、事業を成長・変革しようとするフェーズで如実に出てくるものです。ただでさえ高い負荷の下で仕事をしているのですから、成長・変革に伴う想定外のタフな仕事が発生したら、たちまち脱落者が出てくるか、そもそもの成長・変革の試みそのものが止まってしまいます。
 
日本とタイの組織を比較して、「日本人は頑張るからGood、タイ人は頑張らないからBad」と評価する向きも多いですが、僕はあえて、タイ人の「頑張らない性質」をうまく組織デザインや業務プロセスのデザインに生かすことを考えたいと思っています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ばっさり捨てる。やめる。それは可能性の排除なのか?

ビジネスや芸術、スポーツなど各界で偉大な成果を挙げた人の書籍などを読むと、「○○はしないことに決めている」、あるいは「○○をすると決めている」という趣旨の言葉に出会うことが多い。

例えば、大前研一氏は「ゴルフはしない」「テレビには出ない」(これ以外にも山のように「しない」と断言している事柄があります)。他には「お酒は飲まない」「二次会には行かない」「結婚式には出ない」といったもの。あるいは「筆記具はこれ」とか「朝食はこれ」と決めているというケース。人それぞれなのですが、いずれも個性的な「決めている」に出会います。
 
一読すると、なんとまあ頑固な、あるいは狭量な、という印象を受けたり、はたまたこだわりが格好いいと感じたりしますが、実のところこの「決めている」は「フォーカス」の裏返しなんだと思います。
僕自身の最近の体験ですが、朝食メニューを決めました。これはバランスの良い朝食を摂るというメリットをもたらしたわけですが、それ以上に「買い物の時に迷いがない」「朝の行動に迷いがない」という事のほうが、実はメリットが大きいのでは?という気がしています。買うのはこれ、起きたら冷蔵庫からこれを出す、と「決めている」。迷いがないから行動が速くなり、時間の節約にもなるし、「迷う、考える、決める」というプロセスを踏む労力、ストレスもない。
 
いろいろな選択肢から最適なものを選ぶことは、可能性を広げることです。もっといいもの、もっといいやり方があるかもしれない、と探索することで、より良い仕事、より良い人生につながる。
ただ一方で、人生における優先順位の低い事項について必要以上に選択肢を持つことは、時間と労力とをいたずらに浪費していることにもなる。
より優先順位の高い物事にフォーカスし、そこでの選択に時間とエネルギーを使うために、それ以外の領域では捨てるべきものを捨てる。
 
スティーブ ジョブズにこんな言葉があります。
 
方向を間違えたり、やりすぎたりしないようにするには、まずは重要でもなんでもない1,000のことにノーと言う必要がある。
 
 
 
 
 

35歳からのカラダケア2 記録と見える化

先日書いた新しい生活習慣の実行に加えて、もう一つトライしているのが、「記録と見える化」です。
レコーディングダイエットなんていうのも流行りましたが、「何かを記録し続ける」ことによってそのテーマに継続的に意識を向けるようにするというのは効果があります。意識すれば行動をしやすくなるからです。

食生活を変えたり起きる時間を変えたりという、一定の負荷を伴う活動を継続するには、やはりその行動を支える意識付けが必要。そこで、僕も「記録し続ける」というのを取り入れることにしました。
記録の中身はシンプルでないと続かないので、
1. 総合的な体調をAからCで評価、
2. 朝昼晩の食事の内容を一言で書く「豚肉生姜焼き」など
3. 睡眠時間
4. お酒の量を大中小で表現
の4つに絞りました。食事と睡眠時間、お酒の量が体調に与える影響が大きいことを経験的にわかっているので、それを書き留めて体調の変化をモニタリングしていこうとしているわけですね。

記録には、スケジュール管理・タスク管理に使っているGoogleカレンダーを使っています。健康管理のカレンダーを新規作成して、上の4つの項目を毎日、予定欄に入力するだけ。仕事中はそのカレンダーを非表示にしておけば邪魔にはなりません。

やってみると、なるほど前夜の食事とお酒の量が翌日の体調に影響しているなー、とか、気付くことがいくつかあります。それ以上に、カラダケアについての意識が定着することが大きい。

ビジネスでも、四半期、月次、週次、日次と決算の頻度をどんどん細かくして管理していくことがありますが、それもまた、毎日の企業努力を続けるための意識の定着化という意味があるように思います。

ちなみに、前回と今回の内容は、下の書籍をベースに組み立てたものです。体調不良から抜け出しきれていない時に書店でたまたま見つけ、Kindle版をタイ行きの飛行機の中で一気読みしました。